Up <生命>の条件 : 要旨 作成: 2017-10-29
更新: 2017-10-29


    ひとは,<生命>的なものに反応する。
    <生命>的なものに,惹かれる。
    それは,自分自身が<生命>だからである。

    ひとは,音楽に惹かれる。
    それは,音楽が<生命>的だからである。

    音楽が<生命>的なのは,<生命>的につくられているからである。
    どのように?
    新しい波が既存の波の群れの中に逐次出現し成長する。
    この一方で,既存の波が逐次消えていく。
    これが繰り返される。

    即ち,つぎのことが成り立つ:
      無常が定常を成しているものは,ひとにとって<生命>的である。


    ひとは,太陽に<生命>を感じる。
    それは,太陽からの光・熱に,<燃え続けている>という無常の定常を感じるからである。
    もし,ある渦が,方々を彷徨しつつずっと続いていたら,ひとはそれに<生命>を感じるだろう。

    自然科学をもつ以前の人は,自然の個々の現象に<生命>を感じ,実際それを<生命>とした。
    アニミズムである。
    実際,自然は,無常が定常を成している(てい)である。

    <無常>は,新しい格差の出現と既存の格差の消沈が絶えず繰り返されている様である。
    ちなみに「平等──格差否定──共産("共同参画")」のイデオロギーがなぜ現実によって否定されるかというと,これが<無常の定常>という自然の理に反するものだからである。
    なぜ商品経済という無意味・無目的なものに支配されるかというと,これが<無常の定常>の理に合うものだからである。


    <生命>的なものと<生命>そのものは,どう区別されるか?

    例えば,地球。
    地球を生命体に見なす論がある──「ガイア」説。
    この種の論は宗教がかって気持ちわるいところもあるが,翻って,一個の生き物も地球みたいなものと思えば思えるわけである。

    問題は,<生命>を画定することになる「<生命>の条件」であるが,これが実に難問なのである。


    「自己組織化」を条件にするというのはどうか?
    木には自己組織化が有り,岩には無い。
    一寸見(ちょっとみ)には,<生命>の明確な条件になりそうな気がする。
    しかし,地球はどっちか?

    「岩には様々な生物が蠢いており,地球はこの(てい)の岩と同様」と見立てれば,地球は岩と同類であり,自己組織化が無いことになる。
    しかし,木は,微小な生物・無生物 (タンパク質等) の蠢きがこれを形成している。 そして,活動している部分と活動が終わった部分がある。
    地球は,この(てい)の木と同類と見立てることもできる。
    そうすると,地球には「自己組織化」が有ることになる。


    「適応」を条件にするというのはどうか?
    実際,人は,自分に向かって岩が飛んできたら,回避行動をとる。
    一方,地球は,自分に大隕石が向かってきたとき回避行動をとるかというと,とらない。

    しかし地球のこの様は,地に根を張って動けない植物も同じである。
    実際,木の適応行動は,「自分に向かって飛んでくる岩への対抗」の類とは違う領域で考えるものになる。
    例えば,太陽光があたる方向に葉の面を向ける。

    しかし,これは木がそうしようと思ってしているのではない。
    葉の組織の自動反応としてこうなるのである。
    ところで木のこの様は,地球の生物の或る者が太陽光を求める様と大差ないようにも思える。
    ということは,「適応」は地球にも有るということか。


    「自己複製」を条件にするというのはどうか?
    実際,地球は自己複製しそうもない。
    これは,<生命>の明確な条件になりそうな気がする。

    しかし,そうでもない。
    ここまで「地球」を参照項として用いてきたが,ここにもう一つ,頭を悩ませることになる参照項がある。
    それは「人工生命」である。

    頭を悩ませるのは,つぎのことである:
     《 「生命体」を画定しようとする条件設定は,すべて,人工生命を生命体として身分づけることに利くものになる》

    実際,自己組織的で,適応的で,そして自分の複製をつくるコンピュータプログラムが,作成可能である。
    「人工知能」も,自己組織化・適応・自己複製を内容とする<独り歩き>が,進化の方向ということになる。

    そして,人工生命を生命体として許すときは,「自己複製」を条件にすることの必要性も薄れてくる。
    人工知能搭載の移動ロボットなどは,一代限りの生命体ということでよいからである。


    人工生命を生命体から排除するために,「有機物で成る」を条件に加えるというのはどうか?
    しかしこのときは,「カラダのどこからどこまでが生命体か?」の問題をもつことになる。 ──カラダは人工改造ができるからである。
    そしてそもそも,「素材」が条件になることは不本意である。
    なぜなら,「生命体」は,機能の問題として考えたい──このときは,素材フリーで考えることになる──からである。