Up 徒然草 作成: 2012-01-26
更新: 2012-03-03


    第三十八段
    名利に使はれて、閑かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。
    財多ければ、身を守るにまどし。 害を賈ひ、累ひを招く媒なり。 身の後には、金をして北斗を支ふとも、人のためにぞわづらはるべき。 愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。 大きなる車、肥えたる馬、金玉の飾りも、心あらん人は、うたて、愚かなりとぞ見るべき。 金は山に棄て、玉は淵に投ぐべし。 利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり。
    埋もれぬ名を長き世に残さんこそ、あらまほしかるべけれ。 位高く、やんごとなきをしも、すぐれたる人とやはいふべき。 愚かにつたなき人も、家に生れ、時に逢へば、高き位に昇り、奢を極むるもあり。 いみじかりし賢人・聖人、みづから賎しき位に居り、時に逢はずしてやみぬる、また多し。 偏に高き官・位を望むも、次に愚かなり。
    智恵と心とこそ、世にすぐれたる誉も残さまほしきを、つらつら思へば、誉を愛するは、人の聞きをよろこぶなり、誉むる人、毀る人、共に世に止まらず。 伝へ聞かん人、またまたすみやかに去るべし。 誰をか恥ぢ、誰にか知られん事を願はん。 誉はまた毀りの本なり。 身の後の名、残りて、さらに益なし。 これを願ふも、次に愚かなり。
    但し、強ひて智を求め、賢を願ふ人のために言はば、智恵出でては偽りあり。 才能は煩悩の増長せるなり。 伝へて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず。 いかなるかを智といふべき。 可・不可は一条なり。 いかなるかを善といふ。 まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。 誰か知り、誰か伝へん。 これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。 本より、賢愚・得失の境にをらざればなり。
    迷ひの心をもちて名利の要を求むるに、かくの如し。 万事は皆非なり。言ふに足らず、願ふに足らず。

    第四十九段
    老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。 古き墳、多くはこれ少年の人なり。 はからざるに病を受けて、忽ちにこの世を去らんとする時にこそ、始めて、過ぎぬる方の誤れる事は知らるなれ。 誤りといふは、他の事にあらず、速やかにすべき事を緩くし、緩くすべき事を急ぎて、過ぎにし事の悔しきなり。 その時悔ゆとも、かひあらんや。
    人は、たゞ、無常の、身に迫りぬる事を心にひしとかけて、束の間も忘るまじきなり。 さらば、などか、この世の濁りも薄く、仏道を勤むる心もまめやかならざらん。
    「昔ありける聖は、人来りて自他の要事を言ふ時、答へて云はく、「今、火急の事ありて、既に朝夕に逼れり」とて、耳をふたぎて念仏して、つひに往生を遂げけり」と、禅林の十因に侍り。 心戒といひける聖は、余りに、この世のかりそめなる事を思ひて、静かについゐけることだになく、常はうづくまりてのみぞありける。

    第五十八段
    「道心あらば、住む所にしもよらじ。家にあり、人に交はるとも、後世を願はんに難かるべきかは」と言ふは、さらに、後世知らぬ人なり。 げには、この世をはかなみ、必ず、生死を出でんと思はんに、何の興ありてか、朝夕君に仕へ、家を顧みる営みのいさましからん。 心は縁にひかれて移るものなれば、閑かならでは、道は行じ難し。
    その器、昔の人に及ばず、山林に入りても、餓を助け、嵐を防くよすがなくてはあられぬわざなれば、おのづから、世を貪るに似たる事も、たよりにふれば、などかなからん。 さればとて、「背けるかひなし。さばかりならば、なじかは捨てし」など言はんは、無下の事なり。 さすがに、一度、道に入りて世を厭はん人、たとひ望ありとも、勢ある人の貪欲多きに似るべからず。 紙の衾、麻の衣、一鉢のまうけ、藜の羹、いくばくか人の費えをなさん。 求むる所は得やすく、その心はやく足りぬべし。 かたちに恥づる所もあれば、さはいへど、悪には疎く、善には近づく事のみぞ多き。
    人と生れたらんしるしには、いかにもして世を遁れんことこそ、あらまほしけれ。 偏へに貪る事をつとめて、菩提に趣かざらんは、万の畜類に変る所あるまじくや。

    第五十九段
    大事を思ひ立たん人は、去り難く、心にかゝらん事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。 「しばし。この事果てて」、「同じくは、かの事沙汰しおきて」、「しかしかの事、人の嘲りやあらん。行末難なくしたゝめまうけて」、「年来もあればこそあれ、その事待たん、程あらじ。物騒がしからぬやうに」など思はんには、え去らぬ事のみいとゞ重なりて、事の尽くる限りもなく、思ひ立つ日もあるべからず。 おほやう、人を見るに、少し心あるきはは、皆、このあらましにてぞ一期は過ぐめる。
    近き火などに逃ぐる人は、「しばし」とや言ふ。 身を助けんとすれば、恥をも顧みず、財をも捨てて遁れ去るぞかし。 命は人を待つものかは。 無常の来る事は、水火の攻むるよりも速かに、遁れ難きものを、その時、老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情、捨て難しとて捨てざらんや。

    第百八段
    寸陰惜しむ人なし。これ、よく知れるか、愚かなるか。愚かにして怠る人のために言はば、一銭軽しと言へども、これを重ぬれば、貧しき人を富める人となす。されば、商人の、一銭を惜しむ心、切なり。刹那覚えずといへども、これを運びて止まざれば、命を終ふる期、忽ちに至る。
    されば、道人は、遠く日月を惜しむべからず。たゞ今の一念、空しく過ぐる事を惜しむべし。もし、人来りて、我が命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るゝ間、何事をか頼み、何事をか営まん。我等が生ける今日の日、何ぞ、その時節に異ならん。一日のうちに、飲食・便利・睡眠・言語・行歩、止む事を得ずして、多くの時を失ふ。その余りの暇幾ばくならぬうちに、無益の事をなし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟して時を移すのみならず、日を消し、月を亘りて、一生を送る、尤も愚かなり。
    謝霊運は、法華の筆受なりしかども、心、常に風雲の思を観ぜしかば恵遠、百蓮の交りを許さざりき。暫くもこれなき時は、死人に同じ。光陰何のためにか惜しむとならば、内に思慮なく、外に世事なくして、止まん人は止み、修せん人は修せよとなり。

    第百十二段
    明日は遠き国へ赴くべしと聞かん人に、心閑かになすべからんわざをば、人言ひかけてんや。俄かの大事をも営み、切に歎く事もある人は、他の事を聞き入れず、人の愁へ・喜びをも問はず。問はずとて、などやと恨むる人もなし。されば、年もやうやう闌け、病にもまつはれ、況んや世をも遁れたらん人、また、これに同じかるべし。
    人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗の黙し難きに随ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は、雑事の小節にさへられて、空しく暮れなん。日暮れ、塗遠し。吾が生既に蹉蛇たり。
    諸縁を放下すべき時なり。信をも守らじ。礼儀をも思はじ。この心をも得ざらん人は、物狂ひとも言へ、うつつなし、情なしとも思へ。毀るとも苦しまじ。誉むとも聞き入れじ。