Up | おわりに | 作成: 2013-03-19 更新: 2013-03-24 |
その後の「吉本隆明」は,「いまはどうなっているんだろうか」「おっ,あいかわらずがんばっているぞ」「がんばれ」の心情を寄せる対象であった。 吉本隆明論を「吉本隆明」論としてやろうとしたが,自分にとっては意外にも,吉本隆明をずいぶん持ち下げるふうの内容になってしまった。 理由として,つぎの三つが挙げられる: 1.「吉本隆明のその当時立てた枠組が,時代の変化の中で陳腐化するものであったこと」について 吉本隆明の思考枠組は,畢竟,革命イデオロギーである。これで時代性を強くすることになった。 「吉本隆明」は,マルクス者とマルクス主義者を区別し自身をマルクス者に位置づけるタイプのひとりであったが,その後の時代の変化は,そんな区別が何の意味もなくなり,両者がいっしょくたになる場所もまた小さくかすんで目に入らないそんな風景を現出する。 わたしの世代の後の世代になると,吉本隆明の著作は,内容では読めたものでなくなる。 そしていまの若い世代には,吉本隆明は知ることにもならない存在になる。 ここに,「古典」のことばが浮かんでくる。 吉本隆明が時代性を強くしてしまうのはなぜか? それは,《何かに託す》をやるためにである。 「何か」は,「マルクス」であったり,「大衆」であったり,「科学」であったり,である。 託せるものなど無いので,これをやれば必ずしくじるし,時代の変化の中で陳腐化する。 しかし,吉本隆明は,《何かに託す》という構えに意固地になることを自身に強いる者である。 この拘りは,「吉本隆明」の要素である。 この拘りをとってしまえば,「吉本隆明」は無くなる。 2.「吉本隆明の立てる無理な立場は,意固地な相で懸垂したままである他ないこと」について 「大衆」「意識の実在」はそれである。 無理な立場は,懸垂したままになる。 懸垂したままは,意固地の相になる。 <時の人>の後の吉本隆明は,「意固地でやっている」がわたしの勝手なイメージになった。 わたしに彼の著作を追わせる気にさせなかったところのものは,正直,これである。 3.「わたしが,吉本隆明の数冊の著書の読者でしかなく,その著作も 6, 70年代のものに偏っていること」について それは,「すごいもんだ」となるものである。 この「すごいもんだ」は,<時の人>の後の吉本隆明を追ってやらないと,評価できない。 そしてわたしはこれをやっていないので,吉本隆明の「すごいもんだ」の評価はできないわけである。 吉本隆明の「すごいもんだ」の評価は,本論考の趣旨ではない。 本論考の趣旨は,「吉本隆明」とは何かを押さえることである。 では,《「吉本隆明」とは何かを押さえる》の方は,「吉本隆明の数冊の著書の読者でしかなく,その著作も 1960, 70年代のものに偏っている」でやってよいことなのか? 「吉本隆明」論をやるために吉本隆明の多くの著作にあたるということは,わたしのしないことである。 それは,わたしの時間の使い方ではない。 これについては,二通りの理屈が立つ。 理屈1 著書は,<方法>の外延である。──翻って,著書の内包が<方法>である。 <方法>にアクセスする方法は,「著書にあたる」である。 実際,著書をなぜ読むかというと,<方法>を捉えるためである。 このとき,「著書にあたる」は,「くまなく著書にあたらねばならない」ではない。 どの著書にどの程度あたればだいたい十分かは,経験をつむうちにだいたいわかってくる。 あとは,「時間・労力」(コスト) と「欠落のリスク」のトレードオフのはなしになってくる。
彼らは,「くまなく著書にあたる」ことを生業にしている者なので,それに「時間・労力」(コスト) を使うことがまさに「時間・労力」(コスト) の使い方なのである。 理屈2 この習慣は,ひとに「ものを書くな」「ものを言うな」を強いる。 これを通用させた組織・社会がどんなひどいことになりそうか。 ひとは自分の阿呆の丈で阿呆を言えばよいのであり,実際こうなるのみである。
さて,わたしの「吉本隆明」論は吉本隆明をずいぶん持ち下げるふうの内容になったが,さらに,(「ふつうと比べると」ということであるが) ひどく分量の少ないものになっている。 実際,読者は「どこに吉本隆明がいるのだ!」と苛立つだろう。 しかし,本論考は吉本隆明の構造的な捉えが主眼であるから,わたしにはこれでよいのである。 こまごまやりだすと,構造が見えなくなる。 実際,ここで述べていることのそれぞれについて含蓄をせっせと掘り出すことをやれば,けっこうな分量になるわけである。 最後に反省であるが,吉本隆明に対し「吉本隆明」を措くという最初の目論見は,論のしまいにはグチャグチャになってしまった。 (2013-03-24 時点での閉め) |