Up 革命イデオロギー ── 悪者論 作成: 2013-03-18
更新: 2013-03-23


    「批判」は,現前を新解釈することである。
    それは,<有る>に対し,この<有る>の意味・理由を示すことである。

    <有る>は,系の定常均衡を体現している。
    <有る>は,有るべくして有る。
    <有る>は,「この程度に有るのが分相応」を示している。

    しかし,「批判」は,容易に「この<有る>は,有るべきでない」を言うものになる。
    <退治したいもの>──悪者・バイ菌・害悪───を立て,「批判」を退治の方法に定める。

    これは「批判」の誤用である。
    一方,革命イデオロギーでは,これがまさに「批判」の意味・形になる。
    ものごとに「正しい・間違い」をつけ,「この<有る>は,有るべきでない──悪者・バイ菌・害悪であり,退治すべき」を唱える。
    実際,革命イデオロギーの本質は,潔癖である。
    社会の汚物を見つけ出しそれを一掃することに,執念を燃やす。
    「批判」は,悪者論・バイ菌論・害悪論をやることである。

    革命イデオロギーの潔癖は,同じ潔癖の者には清く見える。
    社会における「汚物」の意味がまだ見えない若者には,清く見える。
    彼らは,革命の尖兵になる。
    行うことは,「大人」退治である。

    革命はきまって大量殺戮になる。
    「悪者・バイ菌・害悪」退治だからである。
    革命の向かう先は,人・組織・社会の破滅である。
    「悪者・バイ菌・害悪」は有るべくして有るものだからである。


    吉本隆明の「戦争責任論」での個人名指しの「批判」は,悪者論・バイ菌論・害悪論である。
    実際,このときの吉本隆明は,革命イデオロギーの者である。

    吉本隆明が<時の人>であったのは,この時である。
    それは,革命イデオロギーが情況の要素であった時である。

    以後,革命イデオロギーは急速に陳腐化する。
    吉本隆明の「戦争責任論」は,テーマ (「自己保身・自己欺瞞」) は普遍的である。 しかし,道具立ての陳腐化は,いかんともしがたい。 ──道具立ての陳腐化,それは革命イデオロギーの陳腐化である。