Up 「批判」の意味 作成: 2013-03-19
更新: 2013-03-19


    「批判」は,現前を新解釈することである。
    それは,<有る>に対し,この<有る>の意味・理由を示すことである。

    <有る>の意味・理由を示すことは,これの含意として「この<有る>は,この程度に有るのが分相応である」を示すことになる。
    「この<有る>は,この程度に有るのが分相応である」が輿論形成に進むと,これはさらに現前の変革に進む。
    これが,「批判の行動性」というものである。


    世の中には,「批判」を生業とする者がいる。 そしてそれらのうちには,自分の時間が限られているという思いから,「批判」の成果を求めるのにせっかちな者がいる。
    彼らは,輿論形成と現前の変革を,むりやり駆動し進めようとする。
    このむりやりが通るとき,いろいろ拙いことが起こる。 ──だから「むりやり」というわけである。

    「批判」が陥る「むりやり」とは?
    ものごとに「正しい・間違い」をつけるというむりやりである。

    「国論二分」という現象がある。
    これは,一方が正しくもう一方が間違いというのではない。
    どっちもどっちということである。
    すなわち,どっちも功罪相半ば──「功罪」の内容が違ってくるだけ──ということである。
    ものごとは,「正しい・間違い」ではない。

    <有る>は,系の定常均衡を体現している。
    <有る>は,有るべくして有る。
    この<有る>を「有るべきでない」というふうに見させるものは,<愚かさ>である。
    実際,「この<有る>は,有るべきでない」を行為することは,系の破壊である。


    「批判」は,「この<有る>は,この程度に有るのが分相応である」を説明するものである。
    「批判」の出来・不出来は,「この程度」の捉えの出来・不出来である。