Up 生き様 作成: 2013-03-24
更新: 2016-03-11


    吉本隆明は,「吉本隆明」を生きた者である。
    吉本隆明は,死ぬまで「吉本隆明」をやれた。
    すごいもんである。
    「すごいもんだ」が,吉本隆明に対する批評・批判・評価の形である。

    華々しくデビューしてしまったボクサーが死ぬまでボクサーでいたら,それは掛け値無しに「すごいもんだ」となる。
    何に,「すごいもんだ」と思ってしまうのか?
    生き様に,である。
    吉本隆明は,これである。

     註 : 学術的にどうたらこうたらを言うのは,「吉本隆明」批評の作法ではない。


    しかし,生き様で「すごいもんだ」の評価をするのは,変なぐあいになる。
    生き様を評価の対象にしたら,例えば虐殺した人間の数が半端でない政治指導者──スターリン,毛沢東,ポルポトの類──はすごいもんだになってしまう。実際,すごいわけである。
    そして,吉本隆明の生き様を「すごいもんだ」と言い出したら,斬った人間の数,斬り方の容赦なさのすごさ (無惨さ) を,自ずと思ってしまうことになる。


    吉本隆明の生き様に感じる「すごいもんだ」は,どんなふうに捉えることになるものか?

    デビューで大ヒットしてしまった者は,その大ヒットの形を,パブリック・イメージとして自分にずっと負う者になる。
    これを生涯ずっと負い続ける者は,「すごいもんだ」である。
    吉本隆明の生き様の「すごいもんだ」は,これにあたる。

    吉本隆明は,自分を引っ込みのつかない格好にしてしまい,終生これを引き摺る。
    そして「下手こき」をやってしまう。
    しかし,初期の大ヒットをずっと負うとは,こういうことである。──「是非も無し」である。