Up 自家撞着 作成: 2016-03-11
更新: 2016-03-11


    自分は,自分が批判している相手と大差ない者である。

    批判は,対立軸をつくる。
    対立軸をつくることは,《大差ないのに,差を無理矢理つくる》の無理をすることである。
    そして,無理をすることは,誤りをすることである。

    自分と大差ない相手に対する批判は自分にも妥当する。
    批判は,自分に返ってくる。
    批判は,自家撞着になる。


    批判は,「おまえはそれほどのものか?」の問いが自分に返ってくる。
    そしてだれも,「それほどのもの」になることはできない。
    そこで,批判を考えるときは,自分が偉そうにならない批判のテクニックを,自ずと考えることになる。

    吉本は,考えない。
    相手をやっつけることだけを考える。
    これで相手がまいるわけではないが,やっつけ続けることを自分の生きる形にする。

    吉本は,自分が全肯定するものとして「大衆」を立てる。
    「大衆」を立てると,《大衆でない者は自分の周りからいなくなって構わない》になる。
    大衆でない者とは,「インテリ」である。

    吉本の批判は,相手と絶交の関係になるところまで行く。
    吉本の批判が罵倒であるのは,吉本にとって批判は<相手と絶交の関係になる>だからである。
    吉本が批判で自家撞着にならずに済むのは,批判が<相手と絶交の関係になる>だからである。