Up 反の反で,肯定 作成: 2016-03-11
更新: 2016-03-11


    反に反を返せば,肯定になる。
    吉本は,これをやってしまう。

    吉本は,反・反原発をやる。
    反原発は原発の危険を唱えるから,これに対する反は「原発に危険は無い」になる。
    実際,吉本はつぎのように言ってしまう/言わされてしまうことになる:

      ソ連原発事故のようなものは確率論的にはあと半世紀は起こらない。 半世紀も人命にかかわる自己が起こらない装置などほかにないし,航空機や乗車事故よりも危険がおおいとも思わない。 大衆や婦女子の恐怖心に訴えるソフト・テロなど粉砕すべきだし,改廃を論議し市民の運動としたいなら大衆の理性と知性に訴えられなければ,そんなものは反動にすぎないのだ。
      ‥‥
      原子力を発電に利用しようとする装置を考案し,製作し,作動させて,電力エネルギーの30%供給までチェルノブイリ規模のような人命事故を起こさないできた技術の現状を,否定し廃棄すべき根拠がない。
      ‥‥
      原則は,原発の科学技術安全性の課題を解決するのもまた科学技術だということだ。 それ以外の解決は文明史にたいする反動にしかすぎない。
      ‥‥
      文明史の到達点としての原発を否定するのは,いいかえれば焼石や木片マサツ,風車や水車から蒸気機関というようなエネルギー獲得の手段史として原子力発電(所)をみたばあい,これに反対し否定するのは人類の文明史に対する蒙昧と反動だ。
       (『試行』68号,1989年2月)


    <反反>の要点は,つぎのものである:
      反反は,肯定を引き受ける羽目になる。
      肯定は,危ういものを確実な根拠に仕立てる羽目になる。
    <反・反原発>では,つぎが根拠に仕立てられている:
      「大衆の理性と知性」「技術の現状」「科学技術」「文明史」


    反には反を返してはだめなのである。
    返すべきは,超である。
    論理階梯を一段上げるわけである。
    すなわち,つぎの論をつくることになる:
      ひとは,危険な原発をやめることより,
        電気を潤沢に使えることの方を選ぶ。