Up | 自然 | 作成: 2013-03-17 更新: 2013-03-17 |
在の者が下町に入ると,「ここに一生棲む人がいる」の感慨がわく。 新幹線で東京から横浜の間,家屋密集地帯を見るときのあの感じである。 このイメージがさらに進めば,「下町に一生棲む者ゆえに出てくる論考」が吉本隆明の論考のイメージになってくる。 実際,吉本隆明の論考には,自然が出て来ない。 自然は,吉本隆明が自分の守備領域の外に措くものである。 しかし,詩人としてこれで済むのかというと,厳格には,やはり済まない。 自然は,人のすべてのことに関わってくる主題である。 自然を主題にできないとは,定めしおおきな間違いをやってしまうということである。 そこで,詩人として自身を立てようとする者なら,自然を主題にできることを自身に課すことになるのが,道理である。 自然を主題にできるためには,自然を主題にできるカラダをつくる。 特に,自然を見る目をつくる。 画家は,デッサンを自分に課す。 それは,デッサンが<ものを見る目>をつくる方法だからである。 この目をつくっていないうちは,ものは見えていない。 自然を見る目づくりで「デッサン」にあたるものは? エコロジーの修行である。 この修行のまえは,自然は見えていない。 吉本隆明は,エコロジーについては,エコロジストの欺瞞性を主題にする者であるが,エコロジーを主題にする/できる者にはならなかった。 |