Up 「仏性」解釈の変更── 潜性から顕性へ 作成: 2018-03-25
更新: 2018-03-25


    大乗仏教は,仏の教えによって衆生を成仏に導くという企図である。
    この企図は,<仏の教えによって成仏に導かれる>を,衆生の属性として立てていることになる。
    実際,この属性を「仏性」と呼ぶ。
    こうして,「一切衆生悉有仏性」が,大乗仏教の標語になる。

    しかし,《仏の教えによって衆生を成仏に導く》をいざ実践に移そうとすると,「自分にそのようなことはできるか?──いや,できない」になる。
    では,衆生は成仏できないのかとなると,これも困る。
    さて,どうするか。

    ソルーションは,《衆生はもともと成仏している》にすることである。
    こうして,「仏性」の意味が変更されることになる。
    「仏になる可能性」から「仏の顕在」への意味変更──潜性から顕性への意味変更──である。

    しかしそうすると,「仏性」を衆生に限定することに,意味がなくなる。
    動物でもいいじゃないか,となる。
    さらに,生き物全般でもいいじゃないか,となる。
    そして,ついには「山川草木悉有仏性」を言わねばならなくなる。

    ここに「仏」は,「事物のイデア」といったものになる。
    そして「現成」が,「仏性」の意味になる。