Up 「仏性」テクスト 作成: 2018-03-24
更新: 2018-04-14


    「学を立てる」の意味は,「探求主題を立てる」である。
    禅の探求主題は,「仏性」である。


    学と宗教では,「仏性」の論じ方が違う。

    宗教が「仏性」を論ずるとき,「仏性」はわかっているものである。
    僧は,説法を以て衆生を救うことが役割である。
    そして,「説法を以て衆生を救う」には「仏性をわかっている者として振る舞う」が含意される。

    一方,学が「仏性」を論ずるとき,「仏性」は探求の対象であり,不明のものである。
    禅は,宗教ではなく,学である。
    禅僧が衆生と関係をもつ形は,「托鉢」であり,「説法を以て衆生を救う」ではない。

      では,禅はなぜ宗教になるのか。
      ひとは,何かをありがたがるという形によっても,救われるものだからである。
      禅僧は,衆生からありがたがられる存在になることで,衆生を救っていることになる。
      そしてこの場合は,俗世と交わらない存在然としているのがよいのである。


    「仏性」は,不明である。──実際,それはことばに過ぎない。
    しかし,禅の師は,「仏性」をわかっている者としてパフォーマンスしなければならない。
    パフォーマンスの形は,「煙に巻く」である:
      『趙州録』
    問、 祖仏近不得底、是 什麽人?
    師云、不是 祖仏。
    学云、争奈<近不得>何。
    師云、向你道「不是祖仏 不是衆生 不是物」,得麽?
    学云、是 什麽?
    師云、若有名字、即是「祖仏・衆生」也。
    学云、不可 只与麽 去也。
    師云、卒未 与你 去在。

    問う、 「祖仏の近づき得ざる底、是れ什麽人(なんびと)か?」
    師云く、「祖仏ならず。」
    学云く、「<近づき得ざる>を争(いかで)か奈何(いかん)せん。」
    師云く、「你に向いて道(い)う『祖仏ならず、衆生ならず、物ならず』。得たか?」
    学云く、「是れ什麽(なん)ぞ?」
    師云く、「若し名字有らば、即ち「祖仏・衆生」なり。」
    学云く、「只だ与麽にて去るべからず。」
    師云く、「卒(つい)に未だ你と与(とも)にし去らず。」

    「祖仏も近づくことのできない底,それは何者ですか。」
    「祖仏ではない。」
    「<近づくことができない>なら、どうしようもない。」
    「あんたには『祖仏でない、衆生でない、物でない』と言おう。わかった?」
    「それは何ですか。」
    「もし名前があれば、即ち「祖仏・衆生」だね。」
    「そんなんじゃあ済みませんよ。」
    「まだまだ,あんたとは済まないね。」