Up 「即心是仏」 作成: 2018-03-19
更新: 2018-03-29


    経の内容は,荒唐無稽である。
    ありがたがる気持ちが無ければ,読めないものである。
    禅の傑人たちは,経をくだらないと断ずる者である。

    なおのこと偶像は,彼らにとってくだらないものである。
    彼らは,偶像を拝むことはしない。

    彼らは,ブッダをはじめ先人を,所詮人──自分と変わらない──と見る者である。
    彼らは,ブッダを「等身大のブッダ」で考える者である。

    そこで,彼らにとって「成仏」は,専ら自分を頼みにして実現するところのものになる。
    これは,ブッダそのものを実践するということである。
    ブッダは,自分の(そと)のものではない。
    ブッダは,自分である。

    「即心是仏」は,この構えを表現していることばである。
    「即心是仏」の「心」は,「自分」である。


      『臨済録』「示衆」
    如今 學者不得、
    病在 甚 處。
    病在 不自信 處。
    你 若 自信不及、即便 忙忙地 徇一切境轉、被他萬境囘換、不得自由。
    你 若 能歇得 念念馳求心、便 與祖佛 不別
    你 欲得識 祖佛 麼?
    秖 你 面前聽法底。
    是學人 信不及、便 向外 馳求。
    設 求得 者、皆是 文字勝相、終不得 他 活祖意。
    莫錯、諸禪徳。
    此時不遇、萬劫千生、輪囘 三界、徇好境 掇去、驢牛肚裏 生。
    道流、約 山僧見處、與釋迦 不別
    今日多般用處、欠少 什麼。
    六道神光 未曾 間歇。
    若 能如是見得、秖是 一生無事人。

    如今[いま]の学者の得ざるは,
    病は甚[なん]の処にか在る。
    病は,不自信の処に在り、
    汝若し自信不及ならば、即便[すなわ]ち忙忙地[的]に一切の境にしたがって転じ、他[か]の万境に回換せられて、自由を得ず。
    汝若し能く念念馳求の心を歇得せば、便ち祖仏と別ならず。 
    汝は祖仏を識らんと欲得[ほっ]するや。
    祇[た]だ 汝──[わが]面前にて法底を聴く[汝] ──是れなり。
    学人 信不及にして、便[すなわ]ち外に向って馳求す。
    設[たと]い求め得る者も、皆な是れ文字の勝相にして、終[つい]に他[か]の<活祖意>を得ず。
    錯[あやま]ること莫れ、諸禅徳よ。
    此の時遭[あ]わずんば、万劫千生、三界に輪廻し、好境に徇[したがっ]て掇去して、驢牛の肚裏に生ぜん。
    道流[きみたち]は、山僧[わたし]の見処に約せば、釈迦と別ならず。
    今日多般の用処 什麼[なに]をか欠少す。
    六道の神光、未だ曽って間歇せず。
    若し能く是の如く見得せば、祇[た]だ是れ一生無事の人なり」。

    你 要 與祖佛 不別、但莫 外求。
    你一念心上 清淨光、是 你屋裏 法身佛。
    你一念心上 無分別光、是 你屋裏 報身佛。
    你一念心上 無差別光、是 你屋裏 化身佛。
    此 三種身 是 你 即今目前聽法底人。
    祇爲不向外馳求、有此功用。
    據 經論家、取 三種身 爲 極則。
    約 山僧見處、不然。
    此 三種身 是 名言、亦是 三種依。
    古人云、身 依義 立、土 據體 論
    法性身 法性土、明知 是 光影。

    汝は祖仏と別ならざらんと要[ほっ]せば、但だ外に求むること莫れ。
    汝が一念心上の清浄光は、是れ汝が屋裏の法身仏なり。
    汝が一念心上の無分別光は、是れ汝が屋裏の報身仏なり。
    汝が一念心上の無差別光は、是れ汝が屋裏の化身仏なり。
    此の三種の身は是れ汝──即ち今目前に法底を聴く人──なり。
    祇[た]だ外に向って馳求せざるが為に、此の功用あり。
    経論家に拠らば、三種の身を取って極則と為す。
    山僧[わたし]の見処に約すれば、然らず。
    この三種の身は是れ名言にして、亦た是れ三種の依なり。
    古人云く、「身は義に依って立て、土は体に拠って論ず」と。
    法性の身、法性の土、明らかに知んぬ、是れ光影なることを。

    大徳、你且識取 弄光影底人、
    是 諸佛之本源、一切處 
    是 道流歸舍處。
    是 你四大色身 不解 説法聽法。
    脾胃肝膽、不解 説法聽法。
    虚空 不解 説法聽法。
    是 什麼 解 説法聽法。
    是 你 目前歴歴底、勿一箇形段 孤明、
    是 這箇 解 説法聽法。
    若如是見得、便 與祖佛 不別
    但一切時中 更莫間斷、觸目皆是。
    秖 爲 情生 智隔、想變 體殊、所以 輪囘三界 受種種苦。
    若 約山僧見處、無 不甚深、無 不解脱。

    大徳[きみたち]、 汝且[しばら]く<光影底を弄ぶ人>を識取せよ。
    是れ諸仏の本源、一切処
    是れ道流[きみたち]の帰舎の処なり。
    是れ汝が四大色身は、説法聽法を解さず。
    脾胃肝胆は,説法聽法を解さず。
    虚空は,説法聽法を解さず。
    是れ什麼[なに]ものか 説法聽法を解す。
    是れ汝──目前歴歴の底にして、一箇の形段も勿[な]くして孤明なる[汝]
    是れ這箇[かくなるもの]が、説法聴法を解す。
    若し是の如く見得すれば、便ち祖仏と別ならず。 
    但[およ]そ一切時中、更に間断莫く、触目皆な是なり。
    秖[た]だ情生ずれば智隔たり、相変ずれば体殊[こと]なるが為に、所以[ゆえ]に三界に輪廻して、種々の苦を受く。
    若し山僧[わたし]の見処に約せば、甚深ならざるは無く、解脱せざるは無し。