Up 言語のなんたるかを知らない 作成: 2018-03-17
更新: 2018-03-17


    言語は,「使えるか使えないか」を考えるものではなく,「上手に使う」を考えるものである。
    道具は,使い方で生きたり死んだりする。
    道具の「使える・使えない」は,道具の問題と使う側の問題の二つがあるわけである。

    実際,言語というものは,実によくできている。
    生成文法理論というのがあるが,これの意味するところは,言語は生成文法理論を可能とするほどにロジカルだということである。
    実際,ことばを覚えることは,高度な論理がそっくり身につくことである。

    どうしてこんな高度なものが実現されたのか。
    「進化」の妙である。
    長い時間の進化は,とんでもなく高度な論理構造を実現してしまうのである。
    ──自分の体を見よ!

    言語はひとがつくろうとしても,つくれないものである。
    これは,時間・進化の所産である。
    言語への正しい対し方は,これをありがたく受けつつ,さらにこれの高度化に貢献する,といったところである。
    ちなみに,「科学」はこれの実践である。

    この視点から「不立文字」の者たちを見ると,いかにも見苦しい。
    それは,「使えないのは言語ではなく,己の方である」がわかっていない様である。