Up 思想と科学 作成: 2018-03-26
更新: 2018-03-26


    思想は,個的な営みである。

    個的な営みは,類型が出揃う。
    思想は,類型が出揃っている。
    新作のつもりでいるのは,類型が出揃っていることを知らないだけである。

    個が集まっても,蜂の巣の幼虫のように居るのであれば,個と変わらない。
    禅の道場は,これである。

    個的な営みである思想は,<先祖還り>をループする。
    禅の謂う「仏性」は,先祖還りである。
    それは,ブッダより前のバラモン教への先祖還りである (「ブラフマン」)。
    この先祖返りを以て,禅はブッダの仕事を元の木阿弥にする。


    科学は,分業である。
    今日の科学は,「メートル」単位で「ニュートリノ」の 10-18 から「宇宙」の 1027 までのスケールの存在論を構築しているが,これは分業のなせるわざである。


    思想の前進は,<科学に回収>という形で成る。
    一方,思想のモーメントは,個の疎外感である。
    そしてその疎外は,たいてい科学からの疎外である。
    この疎外感が紡ぐ思想は,「科学万能の風潮」を批判するという形をとる。
    社会の風潮は「科学万能の風潮」ではないが,反科学が自分の立つ瀬である思想は,社会の風潮を「科学万能の風潮」にしなければならないのである。

    「科学万能」批判の思想は,同類を得て自らを元気づける。
    そして,彼らが元気を得るものの一つに,禅がある。
    禅も,彼らがいるからいまがある。