Up 生業う──欺瞞を引き受ける 作成: 2018-03-25
更新: 2018-03-25


    「インチキ学校」「学校詐欺」というものがある。
    学校の(てい)を成していないのに学生を募ると,これになる。

    しかし,当事者は,インチキ・詐欺をしようとして,<学校の体を成していない学校>を運営しようとしているのではない。
    生業として,<学校の体を成していない学校>を運営しようとしているのである。


    ひとの一番の大事は,<生きる>である。
    そして,生きるとは生業うということである。

    「師・道場」という生業が成り立つと見る者は,この生業を企てる。
    「師・道場」を既に運営している者は,これを保守しようとする。
    このとき,「師・道場」が師・道場の体を成しているかどうかは,問題ではない。
    生業は,成立するかどうかである。


    禅は,ロジックとして,「師・道場」が成立しない。
    一方,現実として,「師・道場」が企業される。
    生業が,ひとの第一だからである。
    この原則は,禅においても当然貫徹される。