Up | 無内容で当て込み発進 | 作成: 2018-04-13 更新: 2018-04-13 |
禅学校は「正道」を以て,己を他と差別化しようとする。 この「正道」は,「探求していくうちにわかるだろう」の当て込みで立てられる。 そして,学校を開始する。 「正道」を不明にしたまま,学校が開始されるわけである。 一般に,内容の当て込み発進は,ダメというものではない。 《走りながら考え,そして中身をつくっていく》はよくあることであり,そしてうまくいくこともある。 しかし,禅の場合は,破綻が最初から決まっている。 「中身をつくる」は,禅の立場──方法論──と合わないからである。 禅の立場では,つくったらそれは誤りなのである。 禅学校が当て込む「正道」というものは,無い。 そして,この学校は授業内容を持てない。 この学校は,教えるものを持たず,ゴールを持たない学校である。 空っぽの学校である。 空っぽの学校は,どうやったら学校を保てるか。 欺瞞で乗り切るのみである。 要するに,詐欺である。 企業詐欺の多くは,詐欺をしようとしてしたのではない。 それは,当て込みが失敗し,しかしその間に自分を引っ込みがつかない立場にしてしまい,よって詐欺でつないでいくようになる,というものである。 禅学校は,この場合である。 |