Up ホーリズム 作成: 2018-03-24
更新: 2018-03-24


    「禅」を思想的に持ち上げる者がいる。
    《「禅」はいまの時代にも/にこそ有効である》を唱えるわけである。
    このとき彼らは,「合理主義」に「禅」を対置するのをスタイルとする。
    いまの時代を合理主義の破綻と見て,「禅」に合理主義の超克を見ようとするのである。

    彼らの発想は,「ホーリズム Holism」の括りの中に入る。
    ホーリズムとは,つぎのような思想である:
     「 天網恢々疎にして漏らさず」(『老子』)
     「 神は天にいまし、全て世は事もなし」(Robert Browning)(註)
     「 柳緑花紅 真面目」(蘇軾?)
    即ち,現前を<全体的秩序で完結されている系>と見る思想である。


    「ホーリズム」は,ミスリーディングな思想である。
    合理主義かホーリズムか」の絵図を描くからである。
    ひとはこの絵図に対し,「自分はどっちだ」で応じてしまう。
    そして,合理主義はひとを疎外するので,ひとはホーリズムをとることになる。

    要点は,「トップダウンかボトムアップか」の問題が,「合理主義かホーリズムか」にズラされているということである。
    ホーリズムの<秩序>は,トップダウンの秩序である。
    トップダウン秩序は,合理主義の対立概念にはならない。
    ユークリッド幾何学は,合理主義であって,トップダウン秩序である。

    科学は,「秩序・系」を,ボトムアップの生成として捉える。
    存在が「色即是空空即是色」「縁起」なのは,ボトムアップの生成になるものだからである。

    即ち,ボトムアップの生成は,存在を<存在の階層>として現すことになる。
    この場合,階層のシフトによって,現れてくる存在が変わる。
    「色即是空空即是色」となるわけである。
    存在は,下位の存在を要素ないしモジュールとする系──関係性──である。
    「縁起」というわけである。


    ボトムアップ存在論の探求は,科学になる。
    対して,トップダウン存在論は,探求のしようがない。
    実際,ホーリズム信者にできることは,座禅 (瞑想) をパフォーマンスするくらいである。

    ひとは科学に疎外されるので,科学を嫌う。
    しかし,科学を嫌って座禅に<意味深>を求めようとするのは,<安直・甘え>である。
    これの先は,退行・退化の一途である。

    思想は,<ストイック>を立場にする。
    ストイックでなければ,科学 (リゴリズム) への橋渡しが成らないからである。


    仏教思想は,「色即是空空即是色」「縁起」の存在論が直接立てられたときがピークであった。
    この存在論は,物理として,いまの時代にも通用するものである。
    これ以降は,退行の過程である。
    ボトムアップの存在論がトップダウンの存在論に顚倒される。

    禅においては,「仏性」がこのトップダウン存在論にあたる。
    《禅は「仏性」論を以て<全体的秩序>信者を迎える》の絵図になるわけである。



     註 :  "Pippa's Song" from Pippa Passes: A Drama.( I. Morning), 1841.

    The year's at the spring
    And day's at the morn;
    Morning's at seven;
    The hill-side's dew-pearled;
    The lark's on the wing;
    The snail's on the thorn:
    God's in His heaven--
    All's right with the world!

    時は春、
    日は朝、
    朝は七時、
    片岡に 露みちて、
    あげひばり、名のりいで、
    かたつむり、枝にはひ、
    神、空に しろしめす、
    すべて世は 事もなし。
         (上田敏[訳])