ひとが禅にひかれる理由には,<勘違い>というのもある。
西洋人が東洋的なものにひかれるのが,わかりやすい例になる。
「何かありそう」という当て込みで,座禅なんかをする。
この「何かありそう」は,勘違いである。
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『臨済録』「示衆」
但能 隨縁 消舊業、任運 著衣裳
要行即行、要坐即坐。
無 一念心希求佛果。
縁何 如此
古人云、若欲 作業求佛、佛是 生死大兆。
但だ能く縁に随って旧業を消し、運に任せて衣裳を著ける。
行くを要めば即ち行き、坐すを要めばば即ち坐す。
一念心の仏果を希求する無し。
何に縁[よ]ってか此の如くなる。
古人云く、「若し作業[さごう]して仏を求めんと欲すれば、仏は生死の大兆なり」と
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