Up 科学の時代の禅 : 要旨 作成: 2018-04-11
更新: 2018-04-11


    ここまでは,「温故知新」の「故」として,禅を主題化してきたことになる。
    一方,禅は,いまも現象として存在している。
    そこで最後に,この禅について簡単に触れておくことにする。
    観点は,「科学の時代の禅」である。


    現前の禅には,既に<時代へのインパクト>というものはない。
    第一に,禅の思弁は,現代の眼で見れば,ただの迷走である。
    第二に,禅が<時代へのインパクト>になるようなムーブメントが起こるとすれば,それは「ニューエイジ」のようなスピリチュアリズム・ムーブメントということになるが,ネットワークによって情報が個人化かつグローバル化する今日,そのようなムーブメントは<嘲笑>によってすぐに抑え込まれてしまう。

    実際,ムーブメントは,メディアとの共犯関係で起こる。
    大きなムーブメントは,マスメディアとの共犯関係で可能になる。
    情報ネットワークは,マスメディアを信用されないものにする。
    こうして,大きなムーブメントは不可能なものになる。

      原発事故で,政府・マスコミは情報操作ができなかった。
      個人やグループが,各地域の放射能汚染の数値をはじめとして,様々な情報・知見をネットワーク上で交換し合ったからである。
      マスコミに登場する「学者」のインチキな論を,ネットワーク上でその都度曝くことができたからである。
      逆に,ネットワークが無かったら,政府・マスコミによる情報操作が成ったわけである。


    20世紀は,イデオロギーとムーブメントの時代であった。
    イデオロギー,ムーブメントを先導したのはマスコミである。
    情報ネットワークの登場は,マスコミによる情報寡占を終わらせる。
    そしてこれは,イデオロギーとムーブメントの時代の終焉である。

      メディアによる一億総白痴化」の「白痴」の内容は,「低俗」ではない。
      「イデオロギー」「ムーブメント」である。

    マスコミの情報寡占の終わりは,なぜイデオロギー,ムーブメントの終わりになるのか。
    イデオロギー,ムーブメントは,自家撞着 (「二股をかける」) である。
    マスコミは,自家撞着の隠蔽を以て,イデオロギー,ムーブメントと共犯関係をもつ。
    情報ネットワークは,この隠蔽を不可能にする。
    無数の個の多様なツッコミは,イデオロギー,ムーブメントの自家撞着を暴露する。

      エコロジー」は,ネットワークの時代にはムーブメントにならない。
      エコロジー」は,<えこひいき>──恣意的な選択──がこれの内容である。
      この「二股をかける」が,あからさまにされるからである。


    翻って,禅を意味ありげにしてきたものも,情報寡占である。
    権威は,情報寡占でつくられる。
    専門家とは,情報へのアクセスにおいて優位な者のことである。
    禅の専門家・権威として自分を立てる者は,禅を意味ありげに論ずる。
    実際,自分の生業を損なうようなことを自分からする者は,いないわけである。

    情報ネットワークは,専門家・権威による情報寡占を壊してしまう。
    一般者が,原典や希少テクスト,専門書に,容易にアクセスできるようになるからである。
    そして,一般者が文献に容易にアクセスできるようになるとき,禅の意味ありげの様は終わりになる。
    現代の眼で見れば,それはただの迷走だからである。