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Dunn (2011), pp.282,283
1985年の秋、ダグ・ラーソンは [ナイアガラの滝の近くの絶壁] 地上 180メートルのところにぶらさがっていた。
彼と学生のスティーブ・スプリングがそうやって命がけで観察していたのは、断崖から生えたマツの木だった。
スプリングは岩壁に自生する木々をテーマとするごくありふれた論文に取り組んでおり、ラーソンは指導教官としてそこにいた。
目標は、木の標本を採取して樹齢を明らかにすることだ。‥‥‥
崖で、ラーソンとスプリングは、ニオイヒパ (Thuja occidentalis) という木の標本をいくつか採取したが、どの幹もラーソンの前腕より太くはなかった。
木は発育不全で、ねじれて節だらけで、朽ちかけているものもあった。
樹齢を調べるのがばからしく思えた。
どう見ても若い木で、数年前に岩壁で発芽してどうにかしがみついてきたものの、じきに落下するはずだった。
少なくともラーソンとスプリングにはそう見えた。
しかし研究室に戻って、彼らは非常に驚いた。
顕微鏡で木の内部を観察したところ、そこには、予想した数十本ではなく、数百本の年輪がぎっしりと刻まれていたのだ。
それらは樹齢数百年の、空中にぶらさがった太古の森だったのである。
樹齢は始まりにすぎず、そこからさらに重要ではるかに長い物語が展開した。
太古の森はラーソンの家の近くの崖だけでなく、多くの崖に存在することがわかった。
世界中に点在するそうした崖は、太古の木々が隠れ住まう場所だったのだ。
カナダやアメリカ、イギリスやフランスの岩壁で、樹齢1000年以上の木々が発見された。
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宮原ひろ子 (2014), pp.66-69.
樹木を使って太陽の研究をする場合、できるだけ連続的に、またできるだけ昔にさかのぼってデータを取ることが重要になります。
その目的に一番ぴったりな樹木が屋久杉やブリッスルコーンパインという松の一種です。
屋久杉の場合、樹齢が2000年を超える個体があるので、非常に貴重な研究資料になります。
これは、屋久杉の中心が約2000年前につくられたということですから、2000年前の宇宙線や太陽の情報がそこに残されていることを意味します。
屋久島の場合、土壊の栄費が少ないために、成長の度合いが極端に遅く、1年に1ミリメートルにもならないほどの細い年輸を重ねていきます。
幹の外側のほうは、それよりもさらに年輪が細くなります。
そのため、2000年生きたとしても直径は2メートル弱にしかなりません。
日常で目にする切り株などで木の年輸を確認してみると、年輪の幅は1センチメートルかそれ以上にもなりますので、比較的太い木に見えても樹齢は100年もない場合がほとんどです。
ですから、正確な年代で1年ごとに2000年分の情報が得られる屋久杉はとても貴重です。
防虫効果や防腐効果を持つ樹脂が多く含まれていることが、何千年も長生きできる秘訣といわれています。
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江戸時代に伐採された巨大な切り株もあちらこちらに残されています。‥‥‥
紀元前よりも昔にさかのぼることのできる木には、なかなか巡り会うことはできません。‥‥‥
多くの場合、切株の中心がすでに腐ってしまっていて年輪がないのです。
たとえば屋久島で一番長寿とされている縄文杉でも、樹齢こそ5000年を超えるかもしれないといわれていますが、裏側にまわってみるとかなりの部分がすでに腐り落ちてしまっています。
細胞の分裂は木の皮のすぐ内側で行われていますので、外側の部分がある程度元気であれば生きていけるのです。
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屋久島を代表する重要な地層が、いまから7300年前に大噴火を起こした海底火山、鬼界カルデラの火砕流の層です。
このとき火砕流が島中をおおったため、7300年以上生息している屋久杉はないだろうといわれています。
縄文杉の推定樹齢には諸説ありますが、7300年を超えるものがないのはそのためです。
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- 引用文献
- Dunn, Rob (2011) : The wild life of our bodies
Harper, 2011.
野中香方子[訳]『わたしたちの体は寄生虫を欲している』, 飛鳥新社, 2013.
- 宮原ひろ子 (2014) :『地球の変動はどこまで宇宙で解明できるか』, 化学同人 (DOJIN選書), 2014.
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