Up <歴史>の視点の欠如 作成: 2009-02-12
更新: 2009-02-12


    この大学は,歴史があっての「この大学」である。
    この大学は,歴史の上にある。
    この大学の歴史は,この大学の創設の日に始まったのではない。
    国立大学の歴史というものがあり,その前にも「大学の歴史」というものはある。
    たとえば,昔の仏教寺院は,いまの大学である。
    大学の歴史を溯っていけば,それは人類の知の歴史の中に溶けて,境界のわからないものになる。

    いまここに,大学を変えようとする者がいる。
    われわれは考える:「その知はどの程度のものか?
    ──小学生も,自分をいっぱしの者と考える。

    <知>については,進歩史観は成り立たない。
    いまの大学人は,余計なことでバタバタさせられる。
    <大事>は緊急の相で現れるものではないので,後に回される。
    つまらないものが緊急の相で現れて,これに時間を費やされる。

    おそらく,いまの大学人の知は,昔の大学人の知よりも劣っている。
    大人と小学生くらいの差があると見ておいた方がよい。

    小学生も,自分をいっぱしの者と考える。
    いまの大学人は,自分を信用してはならない。
    大学をいじろうとするときは,自分のやろうとしていることが大学の歴史の中にきっちり位置づくかどうか確かめる作業から入るべし。