Up おわりに 作成: 2009-02-14
更新: 2009-02-14


    「大学院3次募集」がトップダウンされてきた。
    意見を求められてその場で意見をつくれない不器用な者は,その場を退いたところで,アタマに浮かぶことを書いてみて,その書き上がってきたものの中に自分の意見を見出す。
    この度は,随分急いだが,自分の意見を見出すのに十と一日がかかった。
    翻って,本論考は11日のやっつけ仕事である。
    この後,どう考えが変わるかわからない。
    考えが変わる都度,内容を更新していくつもりである。

    本論考は,トップダウンの3次募集を退ける論になっている。
    あるいは,3次募集をやることが正義みたいになっている組織の中で,「ほんとにそうか?」とたてつく『異論』の趣きになっている。
    このような論考を,短時間につくって,人の目に触れるようにするというのは,少し前まではあり得ないことであった。
    これをできるようにしたのが,「情報化」である。

    論考の最後で話が脱線する形になるが,以下このことに少し触れて,「おわりに」とする。

    情報化社会では,だれもが「失敗する者」として自分を曝すことになる。
    トップも,「失敗する者」として曝される。
    これはトップの不幸ではない。
    トップの不幸は,無謬性を負わされることの方にある。

      無謬性を負わされたトップは,失敗が見えない組織をつくる。
      トップダウンの通路だけにして横を分断する構造の組織──中央集権──である。
      この組織のトップは,不幸せな者になる。

    情報化社会は,中央集権を不可能にする。トップの無謬性を不可能にする。
    この社会では,<権威>の意味も変わる。
    <権威>は<失敗>と compatible な概念になる。