Up 「抵抗・順応」の考え方 作成: 2009-02-05
更新: 2009-02-05


    ひとは,「前向き・後ろ向き」のことばを自分に都合よく使う。

    「改革」バブル期には,「前向き」は「改革」と同じ意味になる。
    企業経営では,「破格」をやる者が前向きで,そうでない者が「後ろ向き」ということになる。 国立大学の「法人化」では,「法人化」路線を進める大学執行部が「前向き」,これに批判的な者が「後ろ向き」。 「大学院3次募集」では,これを唱える大学執行部が「前向き」,これに批判的な者が「後ろ向き」。

    「前向き・後ろ向き」のことばのこのような使われ方がナンセンスであることは,だれでも感じる。 では,そのナンセンスをどのように述べたらよいか?
    ひとによって,目の前に見えているものが違う」と述べればよい。
    (さらに言えば,「同じ人間でも,状況によって見え方が違ってくる」。)


    現前の背後には,時代の波/流れがある。
    状況認識では,この時代の波/流れをとらえることが肝要となる。

    自分に押し寄せてくる波の高さ・速さに応じて,自分のこれまでの立ち位置を保とうとするか・逃げようとするか・その波に流されるままになろうとするか,異なる判断がされる。
    ここに,AとBの二人がいる。 Aの目には,数十センチメートルの高さの波がやってくるのが見える。Aは「このやり方で波に対抗できる!」と思う。 Aは,抵抗を選んだ自分を「前向き」,抵抗しようとしない者を「後ろ向き」と定める。
    Bの目には,数メートルの高さの波が押し寄せてくるのが見える。そこで,「ここは波に流されるしかない場面だ」と思う。 Bにとって,Aは不思議なことをやる人間である。

    時代の流れがどのように見えるかは,経験値の高さや思考の深さによって違ってくる。 そして,経験値の高さ・思考の深さがいちばん効いてくるのは,時間軸の使用である。
    すなわち,経験値が低く思考の浅い者は,時間軸が視座に無いので,ものごとを見る・考えるが<目先・一瞬>のことになる。 <全景・長いスパン>を見る・考えるができない。
    「抵抗・順応」の対象と定めるもの,そして「抵抗・順応」の方法は,見ているのが<目先・一瞬>か<全景・長いスパン>かで大きく違ってくる。

    例えば,経済活動に「エコ」をかぶせることがここしばらくの流行りであるが,このときの「エコ」は,<全景・長いスパン>を方法論として提起していることになる。

    「教育は百年の計」のことばで提起しているものも,同じである。
    そして「教育は百年の計」をことさら言わねばならないのは,ひとはすぐに<目先・一瞬>をやってしまうからである。
    実際,「大学院3次募集」は,「<目先・一瞬>をやってしまう」の典型的な例になるものである。