Up 3次募集にひとは集まらない 作成: 2009-02-08
更新: 2009-02-11


    2月の2次入学試験に続いて,3月に3次入学試験を行う。
    この1か月の間に,状況は大学院にとってどんなふうに「好転」しているか? 3次募集を行おうとする者は,もしかして,この「好転」を見ているのかも知れない。
    そこで,「この間の状況の変化は何か?」と考えてみよう。

    ここに,就職浪人が最終的に確定している,ということがある。
    そこで,いちおう,彼らの応募の期待値は?と考えてみる。

    この場合は,「大学院にでも入るか・大学院に入るしかないか」になる。 「でも・しか」院生である。(このあり方も問題になるが,いまは問わない。)
    民間企業就職だと就職浪人の形の卒業は不利になるので,「空白をつくらないために,大学院に入っておこうか」があり得る。 しかし,教員養成系大学・学部の学生の場合,就職浪人の形は教職浪人であり,このような形で卒業することは不利にはならない。

    これの他には,「就職浪人」が「状況好転」の内容となる要素は考えられない。
    実際,3次募集で2次と3次の間に状況の「好転」を見ているという気配も,感じられない。

    さて,「好転」の要素がなければ,「3次募集にひとは集まらない」になる。
    これが論理的なものの考え方である。
    このロジックに対して「やってみなければわからない」を言うのは,根性主義であって,組織はこれに付き合ってはならない。 組織が論理的なものの考えから逸脱するのは,それ自体がモラル・ハザードである。

      やってみなければわからない」でやってしまうものは,間違いなく「不良債権」(国立大学の場合は,税金の無駄遣い) になる。 「サテライト」や「大学基金」はそうであり,いまは「教職大学院」がこれになりそうな感がある。 (「3次募集」も,教職大学院が先鞭をつけた。)