Up | 要 旨 | 作成: 2009-02-11 更新: 2009-02-11 |
これに対するのは,「この事件は何であるか? これの本質的解決はなんであるか?」の考えのもとに行う行動──理を考え,これに基づこうとする行動である。 「大学院3次募集」は,パニック行動である。 実際,「大学院定員割れはどんな問題であるか?これの本質的解決はなんであるか?」の論がこの中では出て来ない。 ここでは,「定員割れ」は考える対象ではなく,ひたすらこれから逃げるべきものである。 「大学院3次募集」のパニック行動を自ら鎮める方法は,その行動が「大学院定員割れはどんな問題であるか?これの本質的解決はなんであるか?」の立論を欠落した体(てい) であるということに,自ら気づくことである。 大学院の定員割れが,需要に対する供給過多の問題であるならば,これに対する対応は「総体的な規模縮小」しかない。 本論考が問題にしようとするのは,そうでない場合である。 すなわち,大学院定員割れが,「大学院の意味・存在理由の不明が顕在化してきている現象」の場合である。 実際,意味・存在理由の不明な大学院に入ろうとする者はいない。 翻って,「大学院は定員充足状態にある」については,つぎの2通りの解釈が立つ: 意味・存在理由が不明の体(てい) で大学院が立つなどということは,あることなのか? ──ある。 大学院は,国策として上から降りてきた。大学院は,大学にとって<与えられたもの>である。 意味づけは,大学の仕事になる。
大学は,大学院の意味づけ・方法論の構築をやらねばならなくなったが,改めていま振り返って考えると,これをやっていない。 すなわち,大学院が立ち上がったときの惰性にまかせる大学院運営をやってきている。 この場合は,ポテンシャルが時間をおって低くなり,ついに定員割れの事態となる。 大学院の歴史のプロセスは,力学的な運動のプロセスである。 そしてこれは,複雑系をなし,<時代の流れ>になる。 よって,定員割れの事態への本質的な取り組みと大学院の規模の回復も,<時代の流れ>の内容になる。 とくに,長い時間をかける歩みになる。 (この歩みは,急げない。) 定員割れは,それが偶然的なものでないとすれば,構造的な問題である。 そしてこのときは,「3次募集」は解決策にならない。 逆に,「3次募集」は,定員割れが構造的な問題であることを隠蔽する。 これに手を出す組織は,<破格> (禁じ手/邪道) で問題に応ずることをアタリマエにする組織になる (あるいは既にそうなっているから,3次募集に手を出す)。 この組織は,モラル・ハザードをやっていることがわからない。 |