Up 要 旨 作成: 2012-03-11
更新: 2012-03-11


    箱物科目は,ジェネラリスト執行部が発想する。

    端緒は,「科目新設を以て現行を改善・改革」が課題に上ることである。
    「科目新設を以て現行を改善・改革」には,つぎのものがある:
    1. 学生が不祥事を起こした。同様の不祥事が起こらないよう,学生指導として機能する科目を編成しなければならない。
    2. すべての大学が現行の科目の改善・改革に取り組まねばならない状勢になっている。横並びしなければならない。
    3. 交付金獲得のために,現行の科目の改善・改革プロジェクトを企画して出さねばならない。
    4. 大学生き残りのために,課程再編しなければならない。これは,現行の科目の改善・改革の趣きで行っていくことになる。

    この課題に対し,教員の側では,ジェネラリスト教員が敏感に反応することになる。
    スペシャリスト教員は,反応しないか,反応が鈍い。

    一般に,「改善・改革」のかけ声が起こるとき,ひとはこのかけ声を信じるタイプと信じないタイプに分かれる。
    ジェネラリストが,信じるタイプである。
    スペシャリストが,信じないタイプである。

    スペシャリスト教員が「現行の科目の改善・改革」のかけ声を信じないのは,自分の経験から,教授/学習が「改善・改革」で考えるものでないという思いをもっているからである。
    スペシャリスト教員は,自己形成・自己実現の仕方において,アスリートと同じである。 自分の不自由なカラダが相手であり,これを長い時間をかけて改造していく。 改造の方法は「鍛錬」であり,その内容の中心は,基本の繰り返し,同じ事の繰り返しである。

    現行の科目は,その中で学生の鍛錬を行っている。
    鍛錬は,「改善・改革」できない。
    ジェネラリスト執行部・ジェネラリスト教員は,このことを知らない・わからない。
    知らない・わからないのは,ジェネラリストの道を専ら歩んできているからである。

    ジェネラリスト執行部・ジェネラリスト教員は,「鍛錬」が科目の内容であることを知らない。
    不自由なカラダを時間をかけて改造していく営為であることを知らない。
    そこで,学生の成長がはかばかしくないのを,教員のせいにする。
    すなわち,教員を「能力を欠いている」「やるべきことをやっていない」「意識が低い」と断じる。
    そして,「彼らを指導せねばならないとすると,その役を担うのは自分たちをおいて他はない」の思いになる。

    こうして,ジェネラリスト執行部の意を受け,ジェネラリスト教員が科目の新規作成の作業に取りか掛かる。 (一般に,ジェネラリスト教員は,ジェネラリスト執行部の意を受ける役回りにされる。)

    ただし,ジェネラリスト教員が科目として作成するものは,授業の枠/スキームである。
    ジェネラリスト教員は,授業の枠/スキームを作成したことで,仕事が成ったと思う。
    そして,これを提示する。
    自分たちが授業の枠/スキームをつくってやったから,後はこの通りに授業するように」というわけである。

    ジェネラリスト教員の設計する授業は,《聴く=わかる》の授業である。 すなわち,「講義」である。
    「講義」の発想は,《講義した分量=学生が学習した分量》である。 実際,ジェネラリスト教員の授業設計は,「あれもこれも」をやるものになる。

    このような授業枠/スキームが,ジェネラリスト教員からスペシャリスト教員に降ろされてくる。
    スペシャリスト教員は,「こんなのは授業として成り立たない」のリアクションをする。
    しかし,ジェネラリスト教員は,このリアクションが理解できない。
    そして,なんにせよ,執行部の意を受けてつくられたこの科目は,立つ。

    この科目は,箱物科目である。これから先ずっと箱物科目である。
    しかし,一旦始めたものは,やめることができない。