Up "If we build it, they will come."とはならない 作成: 2008-06-01
更新: 2008-06-01


    教育行政には,担当者の「善意」にかかわらず,ノー政になってしまう構造がある。 この構造を,行政と現場の両方で押さえておかないと,全体がノー政に振り回されることになる。

    行政側は,「改革」施策をつぎの調子でつくる:
      "If we build it, they will come."
    これは,箱物 (お仕着せ) をつくるということである。
    箱物には,ハード (例えば,建物) とソフト (例えば,制度) の両方がある。

    行政側は,「自分たちが箱物を与えれば,民の方でこれの内容を埋めることに一生懸命努めることになる」という思い込みがある。 しかし,実際は,こうはならない。
    これは,現場がサボタージュするということではない。
    端的に,行政側の考えが浅はかということだ。

    行政は行政で,自分はしっかり考えていると思っている。
    しかし,人は本来浅はかなものであり,そして自分の浅はかに気づかない。

      教員 (特に教員養成) を職としているとよくわかるのだが,「深く考える」は学問の賜であって,意識的に修行しなければ獲得できない能力である。
      特に,大人になれば自然と深く考えられるようになる,というものではない。
      教育行政に就いているからといって,教育について「深く考える」ができているわけではない。──おそらく,できていないだろう。