Up | 教育行政も評価システムの配下 | 作成: 2008-03-26 更新: 2008-03-26 |
この法に則り,計画と評価書を作成 (公開) する。 評価は自己評価であり,「助言」装置としての有識者会議を措く。 (http://www.mext.go.jp/a_menu/hyouka/main_a11.htm) 評価書の中の国立大学関連を見てみる。 そこに書かれている評価項目は,国立大学が作成する評価項目と鏡合わせのようになっている。 特に,国立大学の評価と連動する具合になっている。 評価システムの導入を体験した者は,つぎのことをはっきり知ることとなった:
業務が評価項目の体裁づくりにシフトし,落ち着きのないものになる。 地に足の着いた仕事が霞むような格好になり,そして構われなくなる。 教育行政もまさにこのような状態におかれているようだ。 ──文科省の『実績評価』の中の大学に関する記述は,「どこの大学のことを書いているんだ? (ウソだろう)」模様。 『実績評価』は,だれが・どこで書いても,ウソになる。 これは「不正直」といった問題ではなく,もっと本質的な問題である。 すなわち,「ことばとは,こういったものだ」ということである。
区画された中身を定量的にひろうために,数がもちいられる。 定性的にひろうためには,これを定量的に翻訳する。 例えば,ある色に対し「赤」と言うことができる。 しかし,「赤はなんだ?」と問えば「赤は赤だ」になる。 なんとか「赤」にアプローチしようとしたら,光の波長で表現するみたいになる。 『実績評価』には,「意欲的に取り組まれた」「事業推進が拡大している」「体制が整備されつつある」のようなことばが簡単に書かれる。実質がどうかは関係ない。──繰り返すが,ことばとは,こういったものだ。
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