Up <商業主義=大衆化路線>の問題構造 作成: 2007-11-28
更新: 2007-11-28


    「財政の健全化」を命じられた者は,およそつぎの3つの選択肢をもつ:

      A. リストラで事業の規模を縮小しつつ,現在の顧客数を保つ。
      B. 事業内容はそのままで,顧客を増やす。
      C. いまの事業をやめて別の事業をやる (本業替え,中心業務のシフト)


    国立大学は,「A. リストラ」を選ばなかった。
    「C. 別の事業に転じる」のは,たいへんだし,ハイリスクである。 しかし,この道を選んだところもあった。 (例:北海道教育大学の岩見沢校と函館校)。
    「B. 事業内容はそのままで,顧客を増やす」は,一見もっとも簡単そうに見える。 しかし,簡単なわけがない。弊害も大きい。──りくつを考えれば,わかる。


    「B. 事業内容はそのままで,顧客を増やす」は,商業主義になる。 国立大学の場合は,大衆化路線になる。
    実際,B を自分に課した国立大学は,およそつぎのことを合わせて行う:

      B1. 集客をする (客を直接引っ張ってくる,あるいは客を誘う)
      B2. いまの事業を,よく見せる (宣伝/粉飾)
      B3. いまの事業の需要喚起

    これらは,すべて<無理>をやることになる。
    実際,国立大学はつい最近出てきたようなものではない。 歴史を有するものとして,時代の各時点でそのときの社会状況 (複雑系) の均衡点を体現している。
    <商業主義=大衆化路線>に進む者は,この均衡を無視する (複雑系を思念できない)。


    B で勝者になったとしても,ゼロ・サム・ゲームの勝者である。
    問題は,国立大学にゼロ・サム・ゲームをやらせたいのか?ということなのだ。 そのようなことをさせたいために国立大学を立てているのか?ということなのである。