Up 時代のサイクル 作成: 2008-01-27
更新: 2008-01-27


    いまは,生き残り競争をスローガンにする「改革」の時代である。
    生き残り競争は,「なりふりかまわず」に進む。
    自分以外を「収奪」の対象と見なす。
    個々が「後/他は野となれ山となれ」をやるので,社会が精神の面でも経済の面でも荒廃する。
    「偽」が,この時代を言い表すことばとしてみなに受け入れられる。

    しかし,ひとは「生き残り」のスローガンにやがて厭きる。
    「なりふりかまわず」がもたらす社会の荒廃に嫌気がさしてくる。
    そして,「真面目」が起こってくる。
    「生き残り」に替わって「共生」のスローガンが出てくる。
    「収奪」に替わって「貢献」の指向性が出てくる。

      この後は?
      「共生」のスローガンが厭きられる。
      「競争」のスローガンが清々しく感じられ,「競争」の「改革」に進む。
      再び「収奪」へとスイッチされる。

      以上は,時代のサイクルである。
      ひとは,この「同じことの繰り返し」のサイクルから抜けられないようにできているみたいだ。


    国立大学の「法人化」は,「改革」に振り子が振り切った時代の産物である。
    いま時代は,「改革」から「真面目」にだんだんと戻り始めている。

    • 「株式会社大学」を反面教師として,「大学」の要件には金では買えないもの (=歴史) があることに,ようやく気づき始めてきた。

    • AO入試・推薦入試をよいことだとしてきた中教審が,今度は,大学進学者の学力低下をきたすので「高大(高校・大学)接続テスト」をやるべしと言い出してきた。 節操がないが,AO入試・推薦入試邁進と「わが国の学校教育に対する責任」の標榜に矛盾を感じない鈍感な国立教員養成系大学よりは,マシとしなければならない。
      鈍感な国立教員養成系大学にしても,そろそろ「真面目」の空気を読み始めていい頃だろう。