Up 王の独善と「裸の王様」 作成: 2007-12-25
更新: 2007-12-25


    歴史的に,大学は反権力であった。
    実際,社会的役割として,大学は反権力を旨としなければならない。
    なぜなら,科学に立脚して権力論を構築できる場が,社会の安全装置として必要になる。それをどこに求めることができるかといえば,大学ということになるからだ。
    大学はこの社会的役割を自任しなければならない。(「反権力は給料のうち」)

    一方,歴史的に,大学の反権力は「前衛主義・中央指導」を組織論とするイデオロギーと重なっていた。 そのため,大学は,むしろデモクラシーの未熟な場であった。

      議事は,概ね「執行部方針の了承」の形をとる。 デモクラシーの装置である議事法は使われない。
      これは長老政治と形の上では似ているが,つぎの点で本質的に違っている:執行部指導は「正しい指導」である;一方,長老政治には「正しい」の概念はない。


    「前衛主義・中央指導」の組織論は,「エリートが大衆を指導する」の組織論である。
    大衆は,エリートの指導を信じているわけではない。 しかし,「裸の王様」の構造がつくられ,組織はこの構造で安定する。

    すなわち,つぎのようになる:

    1. 自分こそが組織を正しく導く者である」という考え方をするタイプの者が,王の地位に就く。(独善)
      王は,自分と組織を同一視する。(「朕は国家なり」)

    2. 王は,国民が揃って<真>とすべきものを国民に下知する。
      国民は,個人ではこれを<偽>と見る。しかし同時に,「国民として,これを<真>としなければならない」と受けとめる。

        王が下知する<真>は,国民一人ひとりの「<偽>を<真>と偽る行為」によって支えられる。 この構造を「裸の王様」と謂う。

    3. 王は,<真>実現の事業に取り組むことを国民に下知する。
      「裸の王様」構造が全体主義の形に現れ,組織は全体主義でこの事業に取り組む。