Up 学生獲得競争はゼロ・サム・ゲームの泥沼に 作成: 2008-08-04
更新: 2008-08-04


    国立大学は,「法人化」で,つぎのような考え方をする者になった:
      <生き残る>が,大学の存る形である。

    「生き残る」は,ゼロ・サム・ゲームでイメージされる。
    「生き残る」とはこのゲームに勝つことであり,ゲームに負けた者は,「生き残る」の逆であるから,「死ぬ」というわけだ。

    しかし実際は,こうはならない。
    ひとは,潔(いさぎよ)く死んではくれない。
    <死んでしまう>が見えてくると,<なりふりかまわず生きる>をやり出す。
    こうして,生き残りゲームは,泥沼化し,きわめて不道徳なものになる。

    市場原理主義の改革派は,<がんばっている者 -と- がんばっていない者>の世界観をもつ。 そして,競争は,がんばっている者が報われるようにするはずものである。
    ところが,実際の展開では,<敗者は舞台から降りる>にはならない。 みなが,<なりふりかまわず>で生き残ることに,がんばる。

    こうして,<なりふりかまわずで生き残る>が,<生きる>の本来形ということになっていく
    特に,つぎのようになる:
      推薦入試を制度としていない国立大学は,あり得ない。
       そのような国立大学があるとすれば,それは不見識の極みである。