Up 「法人化」達観 : 要旨 作成: 2015-03-20
更新: 2015-03-20


    「人間の歴史は戦争の歴史」のことばがある。
    このときの「戦争」の機能的意味は,「攪乱」である。
    人間の系は「攪乱 → 収束 → 定常 → 攪乱 →‥‥」の繰り返しをライフサイクルとして,自身を保つ。
    「撹乱」は,生きる系の「心臓の拍動」である。
    撹乱は,撹乱のための撹乱である。
    大事なことは,それが撹乱になっていることである。

    「法人化」の大学が「中期計画・中期目標」に記す「教育・研究の改革」は,教育・研究の改革とはならない。
    では,機能がないかというと,そうではない。
    これは,教育・研究の攪乱になる。
    翻って,「撹乱」がこれの機能である。

    一般に,「改革」は改革とはならない。
    「改革」は,もともと「撹乱」が機能である。
    「改革」の大事は,それが撹乱になっていることである。

    「法人化」の「教育・研究の改革」が実際には教育・研究破壊であってもこれを退けることができないのは,「流れ」が出来上がっているからである。
    「心臓の拍動」のつぎは「血液の奔流」が来るというわけである。
    個は,この流れに抗えない。
    「法人化」オンのスイッチはこれを一旦押せば,この後に続く流れをオフするスイッチは存在しない。
    この先は,人の手を離れる。

    「流れ」とは何か?
    つぎのダイナミクスのことである:
      《流れに対して棹さす個々の振る舞いが,流れを更新する》
    個は流れから脱けられない。
    脱ける振る舞いも,流れのうちだからである。

    そのうえ,この流れを自身の専ら生きる場にする者 (「適応種」) が,つぎつぎと現れてくる。
    文科省の「法人化」担当部門,大学の経営陣が,わかりやすい例である。,
    そして,新しくやってくる世代にとっては,現在進行している大学が「大学」である。
    彼らは,最初から「適応種」である。
    実際,これが「新陳代謝」の意味である。
    「流れ」をつくっている個は,新陳代謝する。

    「歴史は繰り返す」のことばがある。
    この意味は,「人間は進歩しない」である。
    「流れ」は,インテリジェンスと無関係である。
    したがって,流れを「愚」として異議を唱えれば,自分が愚になる。

      ちなみに,流れに対し「闘争」は立たない。
      一般に,流れに対しては,「テロ」が立つのみである。
      「テロ」は,「闘争」ではない。
      「ただグチャグチャにする」である。

    「法人化」は,「企業化」がこれの意味である。
    企業として大学が行うことは,「収益を得る」である。
    企業は,いま扱っている商品Aより別の商品Bの方が収益がよいとなれば,Bに転じる。
    「法人化」の大学がやっていることは,これに他ならない。
    「中期計画・中期目標」に載せられることを,企画・実施する。
    教育・研究がどうのこうのは,二の次になる。
    企業としての大学は,これが正しいやり方なのである。
    そして,これがいまは確かな流れになっている。

    大学人は,この流れに棹さすのみである。
    ただしここで肝要は,達観して棹さすということである。

      註. 「達観」は「諦観」とは違う。