Up オピニョンの沈滞 作成: 2007-08-07
更新: 2015-03-22


    「法人化」は,国立大学から企業大学への転身である。
    「国立」の意味は,「私企業 (「収益を上げる」) に馴染まないので,国費で運営する」である。
    私企業に馴染まないとして国立大学をつくり,これに担わせたものは,教育・研究である。
    「法人化」は,教育・研究を「収益を上げる」ものに変えねばならない。
    それはいまのところ,「中期計画・中期目標」に記せる格好につくるということである。
    そしてこれは,教育・研究をおかしくしていく。

    教員は,本来,教育・研究をおかしくする施策に対しては,反論・異論を返すものである。
    しかし,「法人化」の教育・研究施策に対しては,オピニョンは沈滞の一途を辿る。
    なぜか?


    「法人化」は,動的な系 (「流れ」) である。
    教員は,この流れに棹さす存在である。
    教員個々のその行動は,シンクロしていく。
    シンクロは流れにフィードバックして,流れをさらに固定化する。
    即ち,流れがますます個の抗えないものになる。


    一般に,流れは,一旦流れをつくったら後は自動運動する。
    ここで「自動運動」の意味は,「人の手を離れる」ばかりでなく,逆に「人を従える」である。
    「法人化」の当初には,「改革」派教員が一定数現れる。
    そして彼らが,「最初の流れをつくり出す」で機能する。
    「改革」派教員の意味・機能性は,これである。
    この機能を済めば,彼らも他と同じただの「流れに従わされる者」になる。

    「改革」施策は,「全員一緒」を形にした
    これが,教員をシンクロさせるのに,決定的に機能した。
    シンクロのダイナミクスは,つぎの通りである:
      施策遂行の役につくのは,教員である。
      役についた教員は,統制から脱ける者をつくらないことに最も一生懸命になる存在である。
      「法人化」が始まった当初は,統制から脱ける者に対し「それもあり」もあったが,いまは,統制から脱けることはけしからんことである。

    以上の「流れがますます個の抗えないものになる」の構造は,これの現象の一つとして「オピニョンは沈滞の一途を辿る」を現す。
    即ち,この構造は,つぎのダイナミクスによる「オピニョン沈滞」を導く:
      統制を受容するとき,オピニョンをつくる立場を失う。
      統制に加担しつつオピニョンをつくることは,自己矛盾・自己分裂になる。


    オピニョン沈滞の要因は,他にも挙げられる。
    つぎも,オピニョン沈滞の要因である:
      《オピニョンを向ける相手がいない》
    施策を下に降ろしてくる大学トップは,施策をつくらされている者である。
    大学トップも,中間管理職である。

    個人でオピニョンを提示することの遠慮も,要因の一つに挙げられる。

      この「遠慮」は,「匿名」がソルーションになるものではない。
      「パブリック・コメント」の匿名制は,とんだ勘違いである。
      実際,匿名をよしとするのは,つぎのように言っているのと同じである:
        オピニョン・メイキングには,権力の逆鱗に触れるリスクがある

    つぎも,オピニョン沈滞の要因である:
      《「法人化」施策は, 「布石」(本性隠し) の性格が強く,
        もともと異論を出しにくい格好になっている。》
    「布石」に対し,先回りしてこれの「本性」を論じそして異論を立てるというのは,自ずとラディカルな内容になる。 ──ひとに示すのが憚られる内容になる。