Up アメリカという国の特殊性 作成: 2007-08-23
更新: 2007-08-23


    世界におけるアメリカは,日本における東京のようなものだ。
    東京の存在により,東京以外が否定されることにはならない。
    同様に,アメリカの存在により,アメリカ以外が否定されることにはならない。

    東京は,東京以外に対して優位にあるのではない。
    ある意味でスケープゴートである。 うらやむ対象ではない。
    アメリカも同様。

    東京のような存在は,必要である。
    一方,東京は一つでよい。
    アメリカも同様。


    グローバル展開している企業は,グローバル展開するしかないカラダに既になっている。 グローバル展開している企業は,無国籍である。
    グローバリズムとは,象徴的に,アメリカに棲むことである。

    アメリカは,移民の国 (他国籍) を宿命づけられてしまい,そして移民の国の文化をつくる。
    日本は,移民の国になろうとする必要はないし,移民の国の文化をうらやむ必要もない。 ──ちなみに,日本は,日本固有の文化によって尊敬されている。このことが存外日本人には知られていない。


    しかしここ数年,「アメリカ化が日本の正しい進路である」と唱えることが流行りになっている。
    経済のグローバル展開のために国の応援が欲しい経済界は,見境なしといった体でグローバリズムを唱える。 特に,教育にグローバリズムをいっしょうけんめい持ち込もうとする (教育制度のアメリカ化)。
    そしてこのときの論法は,国の出来のよさ・わるさを「国際的競争力」に帰するというものだ。

    食料やエネルギー資源の自給率みたいのは,「国際的競争力」に関わる。 しかし,教育制度のアメリカ化は,「国際的競争力」とは何の関係もない。
    教育学で「<横並び/画一>は,力において<独自>に勝る」などと言ったら大笑いだが,しかしいまは経済界有識者がこれを言ったら国立の教育大学も唸るというご時世である。