Up 「英語で授業」の制度化は,箱物づくり 作成: 2010-10-18
更新: 2010-10-19


    国立大学は,大学院の学生数が定員を大きく下回る状態にある。
    国立大学は,「学生市場を海外に求める」の課題を立てる。
    「学生市場を海外に求める」ありきから,箱物づくりに進む。

    この箱物づくりの一つに,「英語で授業」の制度化がある。

    「英語で授業」など,本来特別なことではない。 必要ならば「英語で授業」をやることになるし,必要なければやらないまでである。

    また,「英語で授業」を制度化すれば学生が海外からやってくるわけではない。 「学生が海外からやってくる」は,「授業を英語でやっている」とは無関係のことである。

    しかしこの理屈は,箱物づくりをやる者の理性に訴えるものにはならない。
    箱物づくりをやる者は,箱の有る無しを決定的なことにする感覚になっている。 内容が埋まるかどうか,どんな内容になるかは,考えない。
    ただ,自分のところでは「英語で授業」を制度にしているということを,実現し,外に示したい。

    これはどういう心理か?
    一つは,「いまになっては引っ込みがつかない」という心理である。
    横並びで安心するという心理もある。「英語で授業」を制度にしていないのは負い目であり,制度化を実現できて安心を得る。
    また,潔癖症の心理もある。すなわち,ひとは箱物づくりに嵌ると,未だ箱になっていないもののあることが,欠落感として,気になってしようがなくなる。
    いずれにしても,箱の意味を考えることができなくなっている。