Up | 行政における理知力の減退 | 作成: 2007-06-26 更新: 2007-06-26 |
理知力の意味,理知力の方法がわからなくなっている。 政策は,複雑系を相手にする。 それをいじれば,反動がいろいろにかえってくる。思わぬ反動がかえってくる。 下手にいじれば,体制に甚大な被害をもたらす反動がかえってくる。 そこで,施策の案に対しては,それを多様な眼で多様な角度から慎重に精査するという作業が必要になる。 このために,議事法といった手法が開発されてきた。 しかし,行政にも,このことを知っている者と知らない者がいる。 そしていまは,知らない者が優勢になっている時代である。 議事法を,めんどうなこと/障害のように扱うようになってきた。 議事法は自分を含む全体を守るものなのだが,この意味をわからない者が増えてきた。 これは,安定期の宿命でもある。 ──安定期には,システムがつくられたときの意味が伝えられず,また忘却される。 「自由主義・デモクラシー」は,それを党の名前につけている政党においても,いまはすっかり閑却されるものになった。 「理知力の方法がわからなくなっている」という点で言うと,つぎのことがある:
「リーダが「骨太」を示し,現場が詳細を埋める。」 これは企業経営(学)の発想であり,経済界が財政諮問会議を装置として行政を主導するようになって以来,顕著になった。 このやり方は,「複雑系を相手にして失敗しない」方法にはならない。特に,国政の方法にはならない。
複雑系を相手にして「骨太」を示せる者 (すなわち,「骨太」を示せる能力を持った者) はいない。 自分は「骨太」を示す力があると思うのは,錯覚である。 「骨太」は,多様な眼で・多様な角度から<詳細>にアクセスすることで,チェックされる。自分の殻 (アタマ) の中でチェックできるのではない。 <科学>を生業とする者は,このことをよく知っている。 しかし,この知見は,政治の場面には届かない。 |