Up | はじめに──本論考の主題・趣旨 | 作成: 2007-12-24 更新: 2015-03-17 |
本論考は,2007-06-24 に開始した。 「法人化」というものがだんだん形を現すようになってきて,「法人化」の含蓄ということになる諸現象を捉えつつ「法人化」のダイナミクスを捉えようというのが,趣旨であった。 この論考は,2010-10-20 のテクスト追加を最後に,ほったらかしになっていた。 そこで,先日の 2015-03-14,今月末の退職を間近にして,とりあえず「閉め」をすることにして,「まとめ」と「おわりに」をつくった。 「閉め」では,「法人化」に対するいまの認識を述べた。 するとこれは,内容的に,以前の論考の「閉め」ではなくなった。 以前の内容とつながらないのである。 つながらないのは,以前といまの間に,認識の「進化」があったということである。 以前は,「法人化」が導くナンセンスな出来事を「愚」にして,さらにこれを人・組織のインテリジェンスの問題にしていた。 いまは,これをいわば自然現象のように見るようになっている。 生き物の生態に「愚」やインテリジェンスの問題は見ないわけであるが,「法人化」に対するいまの見方はこれである。 「法人化」の出来事の中に,<主体>は存在しない。 いわしの群れの複雑な運動は,個が自分の位置取りをその都度調整するという単純なメカニズムがつくっている。 個それぞれの位置調整は,系の更新になって,個に新たな位置取りを行わせることになる。 この連続が,群れの複雑な運動をつくる。 「法人化」も,これと同じである。 「法人化」は,「脱けられない法人化」である。 「脱けられない法人化」は,「脱けられない経済スパイラル」「脱けられない戦争」「脱けられない原発」と同類である。 「脱けられない」は,これに「愚」を見るものでない。 ダイナミクスを見るものである。 そのダイナミクスは,「螺旋運動」である。 「螺旋運動」は,生き物の群れの含蓄である。 これを否定することは,その生き物を否定することである。 「法人化」は,「リストラを課題に負う」である。 この「リストラ」は,「デフレスパイラルの中で個々の会社が行うリストラ」である。 小泉・竹中政権は,デフレスパイラル状況に対し,「構造改革」路線を立てた。 「構造改革」の内容は,「リストラ」である。 個々の会社がリストラに進めば,系全体ではより不況になる。 よって,理の当然として,「構造改革」は成り立つものではない。しかし,これの一項目になった「法人化」は,「構造改革」のことばが色褪せた後も続くことになる。 一旦始めると脱けられない。 このダイナミクスを,「惰性」という。 「法人化」は,意味を欠くただの惰性運動である。 しかし,これに嵌まっていることを愚とするのは,間違いである。 「法人化」の論考の肝心要は,「<主体>は存在しない」の認識である。 <主体>を措くとき,それは「愚」の論になり,「悪者」論になる。 「法人化」は,生態系の話である。 「法人化」のダイナミクスは,螺旋運動である。 螺旋運動は,先頭が伸びる一方の運動である。 螺旋運動の将来は,上昇の柱が高く細くなり,やがて自重を保てなくなって倒れる,である。 しかし,生物は,将来に生きるのではない。 いまの新陳代謝が,生きるである。 「法人化」は,やがて倒れて止むのが定めである。 しかし,この事実は,いまの「法人化」を退けるものにはならない。 生き物はやがて死ぬという事実が,生き物のいまの存在を退けるものにはならないのと,同様である。 こうして,「法人化」の論考は,つぎの論考になる。
「自動」の内容は,「<主体>が存在しない」「脱けられない螺旋運動」。 |