Up 「本来は‥‥」論の確保 : 要旨 作成: 2015-03-21
更新: 2015-03-21


    「法人化」は,動的な系 (「流れ」) を成している。
    「流れ」の中の個のパフォーマンスは,「流れに棹さす」である。
    「流れに棹さす」は,「流される」とは違う。
    「流れに棹さす」ができるためには,棹を持っていて,なおかつそれの操作を心得ていなければならない。

    「法人化」に対し「流れに棹さす」をできるようにするものは,「本来は‥‥」論である。
    これを持たない者は,「法人化」にただ流されてしまう者である。


    「法人化」は,国立大学から企業大学への転身である。
    「国立」の意味は,つぎのものである:
      「私企業 (「収益を上げる」) に馴染まないので,国費で運営する」
    私企業に馴染まないとして国立大学をつくり,これに担わせたものは,教育・研究である。
    教育・研究が「収益を上げる」に馴染まないのは,教育・研究は効率化できないからである。
    実際,教育・研究に効率化を求めると,教育・研究は堕落し,壊れる。


    国立大学教員を長くやってきた現員教員は,「私企業に馴染まない」とされた「教育・研究」を知っていることになる。
    彼らは,旧世代として,企業大学の不適応種になる。
    この世代は,教育・研究の「本来は‥‥」論の保守が務めになる。

    国立大学教員の経歴が短い現員教員ないし「法人化」の中で教員になった現員教員は,「私企業に馴染まない」とされた「教育・研究」を知らないことになる。
    彼らは,新世代として,企業大学の適応種になる。
    この世代は,教育・研究の「本来は‥‥」論の構築が務めになる。