Up 自分の大事は全ての者に大事」をやってしまう 作成: 2009-01-06
更新: 2009-01-06


    自分が大事と思うものは,他の者も同じく大事と思うものではない。 これは,教育・研究においても同様である。
    教員/研究者Aが大事/正しいと思うことは,同僚のBにとっては害悪/誤りになる。──こんなことは,ふつうに起こる。

    例えば,わたしは分析的方法 (科学的方法) で教育の学を立てようとするやり方に批判的であるが,分析的方法 (科学的方法) でなければ研究でないとする立場の教員/研究者は,「授業分析」を学業の内容に含め,学生に課すだろう。

    正反対は,特に根本原理・根本概念のところで起こる。 「<根本原理・根本概念のところで正反対が起こるような学問は,いったい学問なのか?」と思ってしまうが,実際これが学問の現実的な姿である。
    すなわち,学問は「真理に収束し沈静化する」というものではなく,「つぎからつぎと正反対をつくり出すやり方で,自らの活性を保つ」みたいに存在している。

    このことをしっかり認識していないと,「自分の大事は全ての者に大事」をやってしまう。 すなわち,「独善」である。

    教員にこれをやられると,考え方・感性・体質が教員と近い学生や,信じやすいタイプの学生はよいが,そうでない学生はたまったものではない。 ──特に,意識の高い学生であるほど,「たまったものではない」になる。