Up はじめに 作成: 2009-02-23
更新: 2009-02-23


    直近の「改革」バブルは,「文明開化」バブルであった。
    アメリカものの移入が,進歩であると思われた。
    劣等感を突くことは,大きな商売になる。
    この商売に,日本の全部がやられてしまった。
    現象面では,一つにカタカナ語が大量に発生した。
    「コンプライアンス」は,これの一つである。

    「コンプライアンス」とは,
      落ち度を突かれないためには,どうしたらよいか?
      落ち度を突かれたときには,どうしたらよいか?
    の悪知恵のことである。
    まともな物事の考え方ではない。

    しかし,これが信奉されるようになった。
    おぞい話であるが,これが「バブル」というものである。

    「コンプライアンス」は,専ら,組織の犯罪対応を奇形にすることに機能する。
    この奇形に慣れる中で,「犯罪対応」というものの本質を問うことが忘れられる。

    「対応マニュアル」がつくられても,そこに思想はない。 「マニュアル人間はだめだ」と言う者が,自分のことでは目一杯マニュアル人間をやってしまう。