Up 「産んだ」と「籍がある」の関係 作成: 2009-03-05
更新: 2009-03-05


    「犯罪者を産んだ者は謝罪する」の論理は,一律適用すればひどい不合理を現すことになる。 一方この論理を,ことば・論理の表層レベルで退けると,社会がおかしくなる/成り立たなくなる。 つまり,この論理は一つの複雑系を保っている。
    この複雑系をとらえることは,ひとりの人間の知力を超える。
    「犯罪者を産んだ者は謝罪する」の論理は,「下手にいじってはならない」というものの一つである。

    「犯罪者を産んだ者は謝罪する」が昂じると,「犯罪者の籍があるところは謝罪する」へ進む。
    「犯罪者の籍があるところは謝罪する」は,モンスター・ロジックである。 これをやると,社会がおかしくなる/成り立たなくなる。

    一方,「犯罪者を産んだ者は謝罪する」と「犯罪者の籍があるところは謝罪する」がいっしょくたにされるのにも,理由がある。 すなわち,両者は重なるところがあり,そしてともに境界がぼやけている。
    籍には,国籍,本籍,戸籍,学籍,その他「籍」の文字のつかないものがいろいろあるが,これらは「産んだ者」と微妙に重なる。

    そこで結局は,「犯罪者を産んだ者は謝罪する」の適用は良識に従うという言い方しかできなくなる。 Wittgenstein の言い方を用いれば,「謝罪」は言語ゲームである。