Up 「処分不当」訴訟の形 作成: 2010-12-02
更新: 2010-12-05


    企業にはオーナーがいる。
    オーナーは,自分の代行者として,長を措く。
    長の仕事の中には人事があり,特に,解雇を含む懲戒処分がある。

    国立大学法人の場合だと,懲戒処分は学長の職にある個人の名で行う。すなわち,つぎの様式になる:
      処分者
        職名:国立大学法人○○大学長
        氏名:○○○○
      被処分者
        所属・職名:○○大学○○
        氏名:○○○○


    処分では,処分不当の訴えがあり得る。
    訴えの根拠は,法である。

    このときの法には,つぎの2つの場合がある:
    1. 企業が定めている法
    2. 企業の属する上位組織 (e.g. 国) が定めている法

    例えば民営企業で解雇の場合だと,Bはつぎの法である:
      整理解雇でなくて解雇されるのは,本人に相応の非があった場合


    誰が訴えられるかについても,つぎの2通りがある:
    1. 「長はオーナーの意思に従っている」と見なされたところの,長
    2. 「長はオーナーの意思に背いている」と見なされたところの,長
    ここで2は,「長は自分の役目を仕損じている」という訴えである。

    処分不当の訴えの形はA・Bと1・2の組合せから一通りでなくなるが,この組合せのうち意味をもつ形は,つぎの2つである:
       Aー2 企業が定めている法を以て,企業の長をオーナーに訴える
       B─1 「相応の非はなかった」を以て,企業の長/オーナーを国に訴える。


    国立大学法人も,企業として,この一般形で考えることになる。
    ただし,国立大学法人では,長とオーナーの解釈が微妙になる。

    長とは学長のことであるが,法人化以前の国立大学の学長は,大学構成員の代表であり,「執行部」が意味である。
    これに対し,法人化の国立大学の学長は,「オーナーの代行」である。

    国立大学法人のオーナーは,だれか?
    ネーミングからして,そして実態としても,国立大学法人のオーナーは国である。
    一方,「国立大学法人」の趣旨は,国立大学の民営化 (「国は所有を放棄する──生きるも死ぬも大学の勝手」) であった。 そこで,実態はともかく,<既に民営>の位置づけも一応考えておく必要がある。
    さて,<既に民営>の場合,だれがオーナーか?

    この場合,機能的なオーナーがつくられることになる。 すなわち,学長がこの役に納まる。
    実際,「国立大学法人」では,民営企業の長の権力が学長に与えられることになる。 そしてここでオーナーが存在しないことになれば,学長が機能的にオーナーになるわけである。

     註 : 「学長の大学私物化」の現象は,学長が機能的にオーナーになっていることの現れである。
    権力の個人集中は,必ず「朕は国家なり」に進む。

    そこで,国立大学法人における処分不当の訴えの形は,つぎの二つの場合で分けて考えることになる:
    • 国がオーナー
    • 学長がオーナー


    先ず,国がオーナーであるとした場合。
    このときの処分不当の訴えは,「学長は国の意思 (法) に従っている」「学長は国の意思 (法) に背いている」の2通りに応じて,つぎの2通りになる:
       Bー1 「相応の非はなかった」を以て,学長/国を国に訴える
    (*)Bー2 「相応の非はなかった」を以て,学長を国に訴える
           (「学長を務める個人は,学長の役を仕損じている」)

    つぎに,学長がオーナーであるとした場合。
    このときは,処分不当の訴えの形は,唯一つぎのものである:
    (#)B─1 「相応の非はなかった」を以て,学長を国に訴える。

    ここで(*)と(#)の違いは:
      (*)長とこの役をやっている者は,区別される。
      (*)長とこの役をやっている者は,区別されない。

    「国立大学の法人化」「国立大学法人の学長」の含意は,法人化が実際展開される中で少しずつ発見されていく。 そして,「処分不当の訴え」は,「学長」の含意でこれまで気づかれなかったものを,また一つ気づかせるのである。