Up 処分独裁の現前と危険性 作成: 2010-12-03
更新: 2010-12-03


    国立大学の法人化では,人事が学長の専権事項になった。
    法人化以前の国立大学は,教授会が人事を決議していたが,法人化になってから,教員は人事に関わらない/関われないことになった。
    特に,懲戒処分は,学長の専権事項であって,一般教員はこれに関わらない/関われない。
    懲戒処分は,密室の中で進行する。

    処分の密室化は,「個人のプライバシーを守る」の言い方で合理化される。
    しかしこれは,処分対象者の口封じの意味をもつことと相俟って,処分側の独り善がりなやり方が許されてしまう。
    一方的な輿論形成も可能になる。

    実際のところ,事件はつねに複雑系であるから,少数が密室で事を進めれば,かならずいろいろ失敗をやってしまう。 そしてこのことが気づかれない。 ──慎重に事を進めているつもりと,失敗をしないということは,まったく別のことである。

    また,処分は学長の職にある個人の名で行われるが,外向けには「大学が処分」の表現になる。 そこで,「処分は大学の総意」が世間一般の受け取りになる。
    よって,解雇の処分を受けた者が「不当処分」を訴訟してこれに勝った場合にも,世間の受け取りは「みんなから<どんな面を下げて戻ってきた>みたいに扱われるだけだろう──戻っても立ち場がないだろう」のようなものになる。 しかし事件は複雑系であるから,処分に対する大学内の受け取りは一通りではない。

    処分が密室でなされ少数独裁的であるという構造は,一般教職員がこれに危うさを感じる以上に,処分する側にまわる者が危うさを感じねばならないものである。