Up はじめに 作成: 2010-01-10
更新: 2010-01-10


    国立大学は「法人化」により,市場原理主義に立ち,そして大学評価機構からよい評点をもらわねばならない身分の者になった。

    ここで,市場原理主義も大学評価の主要な項目である。
    市場原理主義を促されて,出前授業・公開授業とか,サテライト経営とか,大学基金とか,大学ベンチャーとかに手を出し,そして,ことごとく失敗する。 無試験入学に走り,学生の低学力に困り,入学前事前指導をやるといったぐあいに,やることなすことバラバラになる。

    大学評価機構からよい点数をもらうためには,ことさら新しい企画を示さねばならない。 国立大学の王道はアタリマエのことをアタリマエにやることだが,これでは点数をもらえないわけだ。
    しかし,ことさら新しい企画など出てくるはずがない。 (実際,国立大学の伝統/従来型はそんな軽いものではないので,「ことさら新しい」はだいたいが「すぐに失敗の憂き目を見る」になる。) そこで,安直な方法として,アメリカの大学の制度・方式をそのまま導入するということをやる。 こうして,カタカナ語・横文字語の氾濫状態になる。

    よい点数をもらうことと金を得ることとが一緒になれば,最上である。 そこで,「ことさら新しい企画」でもって概算要求するという知恵が出てくる。
    「むだな公共事業」を作為し,概算要求し,金を得る。
    「むだな公共事業」に活路を求める群れに,国立大学も加わるようになったというわけである。

    「往還型カリキュラム全面実施」の概算要求は,これである。
    なぜ,このように断言してよいか?
    「往還型カリキュラム」は,機能しないばかりでなく,教育課程そのものの破壊になることが,実証・論証されるからである。
    「往還型カリキュラム」は,国民の資産である国立大学を損ない,壊すものである。 「むだな公共事業」であり,「やってはならない公共事業」なのである。

    本論考は,「往還型カリキュラム」が機能しないばかりでなく教育課程そのものの破壊になることの,ケーススタディである。
    「往還型カリキュラム全面実施」を企てるとき一体どんなことが起こるか? これを明らかにすることが,本論考の趣旨・目的である。