Up <統制>気運の醸成 : 要旨 作成: 2011-06-02
更新: 2014-11-29


    強権の専制に,反体制分子の摘発・粛清の話はつきものである。 そしてこの種の話では,摘発組織として警察とかスパイとかの「権力の犬」「暴力装置」の登場を考えたくなる。 しかし,摘発・粛清の本質はこのようなところにはない。

    摘発は,民衆の中で起こる。
    すなわち,トップダウンの履行に民衆が過剰に反応し,不履行者をあぶり出すという形で,民衆が摘発を勝手にやるのである。
    併せて,《摘発されないために,不履行者をあぶり出す側に回る》という行動様式がつくられていく。

    事態をこのように進ませるモーメントは,個人の都合主義である。
    ひとは,個人レベルでは都合主義をとる。 そして,強権体制に対する都合主義の形は,<トップダウンへの服従>である。

    程度の問題はあれ,同型は大学の中にも見出される。

    教員は,各種委員として<都合主義をとる個人>になる。 トップダウンを受け取り,これを組織の各員に指示し従わせることを,自分の都合にする。
    これは,指示に従わない者のあぶり出しに進む。 さらに,指示に従わない者を個別に潰していくということが行われる。

    また教員は,各種委員会から指示される個人として<都合主義をとる個人>になる。
    トップダウンを受け取りこれに従うことを,自分の都合にする。

    <都合主義をとる個人>はこのように二重構造になっている。 そしてこの構造によって,<不履行者のあぶり出し・摘発>が現象する。
    注意すべきは,ここには強権を直接振るう者は存在していないということである。 民衆が勝手に<強権>を実現していくのである。

    民衆が都合主義をとるのは,<強権>が,「プロジェクトへの参加」「追加雑務の引き受け」「書類の提出」といった,一つ一つの内容としては「応じないよりは応じる方がラク/トク」の相で現れるからである。
    これに「お付き合い」感覚で応じる。
    そしてこの「お付き合い」が,総和では,<強権>の形成・固定化・強化に成る