Up 教育的方便として「善悪」を使う 作成: 2011-12-17
更新: 2011-12-17


    「倫理」は,「善悪」の話ではない。
    しかし,倫理とは何かをそのまま教えても理解できない相手に倫理とは何かを教えねばならないとき,方便として「倫理」を「善悪」の話にすることも考えられる。
    この場合の「方便になる」の意味は,「《善いことをし,悪いことをしない》の行動が,倫理とは何かを理解しているときの行動に,結果として近いものになる」である。

      Cf. ブッダの教えは「空」論だが,これを理解できない衆生には,方便として「善悪」を説教する。