Up 生態系は<倫理>を現す 作成: 2011-12-09
更新: 2011-12-09


    一つの生態系は,雑多な生き物の<生きる>の安定相である。 生き物がうごめいているが,そのうごき全体が安定相をつくっている。

       雑多なものを放り出す。 それらは,一つの安定相に到達する。 安定相は,放り出されたものたちが勝手に現してくれる。 ──この安定相を予知計算しようとすると,たいへんなことになる。 (石ころが坂の斜面をどう転がり落ち,そしてどこまで行って止まるかは,事態が複雑過ぎて計算できない。 一方,どう転がり落ち,どこまで行って止まるかは,実際に転がすことでわかる。)

    生態系に対し,それが「自然」とか「自然でない」とかはいえない。
    人を含む生態系も,そこでは人が生き物としてのうごきをしているわけであり,「自然」である。 大都会も「自然」である。

    「人」についても,このことばの指すものを自明に思ってしまうと,間違った倫理学をつくることになる。
    例えば<人数>は,このときの「人」の肝心な要素である。
    ジャングルに,ひとりを放り出す。 カップルを放り出す。 同性十人を放り出す。男女十人を放り出す。 百人を放り出す。 1万人を放り出す。 現前の生態系が影響を受け新たな安定相に至る形は,同じではない。

    「倫理」は,生態系の安定相の要素である。
    あるいは,「倫理」の意味を思いっきり広げて,「安定」を「倫理の実現」と解することもできる。 そしてこのときは,「生きる」と「倫理的に生きる」が同じことになる。 《虫や木も倫理的に生きている》というぐあいになるわけである。

    《虫や木も倫理的に生きている》とき,倫理的な生き方は「本能」(DNA) の発現というものになる。
    生命はきわめて柔軟なもののようであって,生態系の安定相を見きわめるようにして,自分の「本能」(DNA) を変じる。 実際,狭い特殊な環境でそこに適用している生物種が見出されたりするわけである。

    「倫理的に生きる」とは,安定相を保つように生きるということである。
    安定相を壊す行動は「無茶な行動」であるから,「倫理的に生きる」とは「無茶をしない」ということである。
    生態系の中で,生き物は「無茶をしない」生き方をしている。

    《生き物は「無茶をしない」生き方をしている》という知見は,重要である。 なぜなら,倫理学は「倫理」の理由づけに「倫理を欠けば犯罪する」の論法を好むが,「倫理を欠く」の仮定は考えようがないし,「犯罪する」も空想ということになるからである。