Up 教育・研究を「交付金を獲得できる教育・研究」に替える 作成: 2011-02-22
更新: 2011-02-22


    大学の運営経費は,国からの交付金に多くを頼っている。
    この交付金の配分は,今日,「競争的配分」主義に立っている。 大学は,事業を「競争的」な形で提案し,この提案に経費をあててもらうことで,経費を得ている。 ──裏返して言えば,事業を「競争的」な形で提案しなければ,経費が得られないということである。

    「競争的配分」は,小泉・竹中政権の時に定められたものである。
    小泉・竹中政権は,「改革」路線を打ち出した。 その考え方は,市場原理主義・競争主義が,人/組織をよい仕事に向かわせ,そのことで日本が改革される,というものであった。 なぜ,市場原理主義・競争主義が人/組織をよい仕事に向かわせると思ったかというと,《市場・競争ではよい仕事だけが勝つことができ,悪い仕事は淘汰される》と思ったからである。

    大学も,競争原理に曝すことで改革されると考えられた。
    特に,国立大学は,「国立」をなくして,財政的自立を余儀なくされる立場に追い込むことで,改革されると考えられた。 そして,国立大学は国立大学法人になった。 「法人」のことばには,「そのうち民間企業と同じになる」の意味合いが込められている。

    しかし,ものごとは,「改革」が考えるようには,単純ではない。
    <大事>のほとんどは,市場・競争に乗らない。
    そして,競争主義は,ズルを生む。
    ズルを強いられた者は,<大事>を壊すことをやる。

    「規制緩和」のことばに乗って株式会社大学を始めた者は,すぐに大学をなめていたことを思い知らされる。 《まともな大学運営はできない,ズルをするという形でしかやっていけない》となる。 ズルは成り立つものではなく,株式会社大学はたちまち潰れることになる。

    しかし,「改革」熱がさめても,制度は残る。
    大学の<大事>が市場・競争に乗らない一方で,大学は交付金を競争的配分として得ていかねばならない。
    このとき大学は何をするか?
    本来要らないことを「必要・大事な仕事」として概算要求し,その経費を獲得しようとするのである。

    《市場原理主義・競争主義は,人/組織をよい仕事に向かわせるようにはならなくて,無駄遣いに向かわせる》というわけである。