Up 教室の私語は人権問題 作成: 2012-01-26
更新: 2012-01-28


    「迷惑」を人権問題にするモンスターの事例として,「教室の私語は人権問題」を取り上げる。

    このモンスターのロジックは,つぎのようになる:
      私語は,他の生徒の<教育を受ける権利>の侵害である。
       よって私語は,人権問題である。

    これに対し,「人権」の構造 (規準 criteria) は,つぎのとおりである:
      <多数の利益>の実現は,<少数の不利益>が合わさるものになる。
      自分が多数の側にいるときは,その少数に対する見方が「多数の利益のためにがまんしろ」になる。 一方,自分が少数の側におかれるときは,「この不利益は耐えられるものではない」になる。 立場の違いによるこのギャップは,とんでもなく大きい。
      そこで,少数の不利益の問題が,「人権問題」として立てられることになる。

    「私語による迷惑」は,「<多数の利益>の実現と背中合わせになる<少数の不利益>」の構造になるものではない。 よって,「教室の私語」は,人権問題ではない。

    翻って,「教室の私語」を強いて人権問題にするとしたら,その形はつぎのものである:
      科目運営要員になっている教員が,<多数の利益>実現者を自任して,「私語をするな」を言う。
      これに同調しなければならないとする雰囲気が醸成される。
      この行為は,これによって私語を失う少数者──私語ができなくなる生徒,自分の授業から生徒の私語を無くされてしまう授業者──の人権問題になる。

    実際,私語は,授業の重要な要素である
    授業者は,授業の中でこれを効果的に用いようとする。
    教室の私語は人権問題」モンスターのモンスターたる所以は,授業の重要な要素である私語を無くしていく存在として,授業の害悪になるということである。

      Cf. 私語は,会議の重要な要素である。

      担当教員は, 「私語」の意味を捉え損ねる
     『「教室の私語」論』